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『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』新たなるアニメの手法“クリプトキノグラフィー”を使って監督が描きたかったものとは

『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』新たなるアニメの手法“クリプトキノグラフィー”を使って監督が描きたかったものとは


残酷なグリム童話が秘めていた“女性”の視点



 表現手法の話ばかりしてきたが、『手をなくした少女』が素晴らしいのは、表現と物語とがみごとにマッチしているからでもある。


 そもそもの原作であるグリム童話の筋書きが、悪魔の誘惑に負けた父親が、悪魔に差し出すために実の娘の両手を切り落とす、というショッキングなもの。悪魔は少女を我が物にするためにあの手この手で少女から純真さを奪おうとするし、それが叶わないなら不幸のどん底に突き落とそうと、次々と苛酷な試練を課すのだ。




 本作において「純潔=処女」という短絡的な図式は必ずしも成り立たないが、彼女の処女性が脅かされることは、悪魔が登場した瞬間からはっきりと明示される。悪魔は定まった姿を持たず、老人から子供まで好きに姿を変えるのだが、登場の場面はなぜか下半身が裸であり、一瞬ではあるがはっきりとフルチンの状態が描写されるのだ。


 ローデンバック監督は初期の短編から、アニメ表現の中で人間の裸の姿や性の営みを描写しているが、この作品における悪魔の男根は、明らかにヒロインである“娘”(名前で呼ばれることはない)に降りかかる災厄や試練の数々が、社会における男女の格差に起因していることを示している。




 “娘”は家長である父親の「裕福になりたい」という欲望を満たすために悪魔への捧げものにされ、母親は娘を案じてもなす術がなく、そして悪魔を一度退けた娘は、両手を失った不自由な姿で、たったひとりでさすらいの旅に出る。彼女の流転の運命は、女性が自分の意思で生きることを認められない社会/時代にあって、ひたすらに居場所を求める旅路でもあるのだ。


 グリム童話をベースにしながら、ローデンバックは明らかに女性にまつわる現代的なテーマを見出している。そして抽象的な映像表現を駆使することによって、映画は童話の枠を超えて、われわれが生きる今に通じる、より普遍的な物語へと昇華されている。実際ローデンバックは本作に通じる“女性を描いた作品”として、『かぐや姫の物語』と片渕須直監督の『 この世界の片隅に』(2016)を挙げており、『手をなくした少女』を観ると、監督がこの3作を並べた意図に思わず膝を打つ。


 いささか小難しい紹介をしてしまったが、まずは一人のアーティストが生み出した魅惑的な映像世界を旅しながら、不幸に果敢に立ち向かう“娘”の生きる意志を感じていただきたい。


参考:

『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』公式サイト: http://newdeer.net/girl/



文:村山章

1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。



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作品情報を見る


『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』

2018年8月18日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

© Les Films Sauvages – 2016


※2018年8月記事掲載時の情報です。

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