ハリウッドが悪女たちを受け入れられるようになるまで
話題を映画に戻そう。モーリン・ダラス・ワトキンスの戯曲を最初に映画化した1927年のサイレント映画『シカゴ』は、原作戯曲の皮肉な視点を引き継いでいたものの、殺人を犯したロキシーが無罪放免になるラストなどが当時のハリウッド基準で背徳的過ぎると判断され、ロキシーにとって懲罰的な内容に変更されてしまったという。
同じ戯曲の再映画化が1942年のラブコメディ『ロキシー・ハート』で、フレッド・アステアとコンビを組んだミュージカル映画で有名なジンジャー・ロジャースが主演を務めた。ミュージカル作品ではないが、ダンスが得意なロジャースのために踊りのシーンも用意されており、ロキシーもダンサーという設定になっている。またロキシーが無実の罪で投獄された設定に変更されており、冤罪を晴らしたロキシーが新聞記者と恋に落ちて再婚するハッピーエンドも含めて、実話とも原作戯曲ともかけ離れた作品になっている。
その後、戯曲を気に入った天才振付師兼演出家のボブ・フォッシーがミュージカル化へと動き出す。ところが原作者のワトキンスは信仰上の理由から自分が書いた戯曲がふしだらな生き方を賛美していると嫌うようになっており、再三のオファーも断り続けたという。1969年にワトキンスが亡くなり、遺族が権利を売りに出したことでようやくミュージカルが実現、1975年になってようやくミュージカルの初演にこぎつけた。
ここで強調しておきたいのは、2002年の映画版『シカゴ』を観ると、セレブに夢中になる大衆心理やモラルの崩壊など現代の病巣を皮肉っているように見えるのだが、実は最初の戯曲が書かれた1920年代から同じような社会現象が起きていたということ。しかし戯曲に込められたシニカルなユーモアやしたたかな女たちのエネルギーは、ハリウッドではある種の危険物と見なされて、長らくそのまま映像化することが叶わなかった。
1927年のサイレント映画版も1942年の『ロキシー・ハート』も、結局は道徳的なメッセージを背負わされてしまった。そしてモデルになった事件から80年近くを経た21世紀になってようやく、不道徳な話を不道徳なまま映画化することができたのだ。原作者ワトキンスの遺志とは真逆の結果だっただろうが、「正しくあれ、善き人であれ」という常識的な枠から解き放たれた映画『シカゴ』には、ピカレスクロマン的な格別の爽快さが宿っているのである。
文:村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
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