2019.01.29
背後にあるのは「妻」の歴史への告発
彼女の怒りの表現が、あまりにも衝撃的に感じる理由は、他にもある。それは、本作の原題が、"The Wife(妻)"であることから推察できる。本作では「キング・メーカー」という言葉も登場するが、「妻」というのは、いつでも夫を立てて、自分は裏で献身的に支える存在に徹するという役割が強いられてきた立場だ。それこそがいままで、「賢い女性」だと評価されてきた。
もちろん、心から「内助の功」を喜んで行う女性もいるだろうし、そのような人生は、一つの生き方として尊重されなければならないが、全ての妻がキング・メーカーである必要はない。そんな役割を多くの女性が否応なく押しつけられてきたのが、歴史のなかの「妻」であり、現在も連綿と続く、あたかも呪いのような、そしてある意味では「奴隷制度」といえる搾取のシステムなのである。本作は、作家の妻が栄誉を奪われる話を描きながら、「妻」という役割を生み出した歴史、そしてそのような価値観を維持する現在の社会をも告発するものになっているのである。ここでのジョーンの怒りは、もはや彼女個人のものだけでない。
とはいえ、無神経な振る舞いをしてしまうジョゼフが、冷酷な悪人かというと、そうは言えないように思える。なぜなら数々の描写には、彼のジョーンへの愛情も感じるからだ。しかしそれは、搾取のシステムを肯定し、それに乗っかったうえでの話であることも事実だ。この構図があるからこそ、愛情表現が傲慢に見えてしまうことになる。本作は、そんな非常にリアルな現実の関係性や社会構造を映し出し、ここで発生する、世の多くの妻たちに共通するだろう感情を、グレン・クローズの演技に集約させているのだ。
『天才作家の妻 -40年目の真実-』(c)META FILM LONDON LIMITED 2017
本作には、ジョーンがまだ何も書かれていないページに、愛情を込めて手を重ねるシーンがある。白紙は未来の可能性や自由意志の象徴であり、 彼女の動作からは、希望に燃えて大学で才能を発揮していたとき以来、長い間手放していた、思うままに好きなことをやっていくことへの愛おしさが感じられる。そしてそれは、彼女だけでなく全ての「妻」たちが、いつか理不尽な義務から解放され、抑圧されず生きていけるようになってほしいという、一つの願いを示している。
文: 小野寺系
映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。
『天才作家の妻 -40年目の真実-』
2019年1月26日(土)より、新宿ピカデリーほか全国公開
(c)META FILM LONDON LIMITED 2017
公式サイト:http://ten-tsuma.jp
※2019年1月記事掲載時の情報です。