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『ギフト 僕がきみに残せるもの』秀逸なドキュメンタリー映画へと生まれ変わった、子供へのビデオレター。

(c) 2016 Dear Rivers, LLC

『ギフト 僕がきみに残せるもの』秀逸なドキュメンタリー映画へと生まれ変わった、子供へのビデオレター。

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まだ見ぬ我が子へのビデオレターに込められたものは?



 マイケル・キートンとニコール・キッドマンが夫婦役を演じた1996年のアメリカ映画『マイ・ライフ』はがんで余命宣告を受けた広告代理店経営の男が、妻のおなかの中にいる子供に向ってビデオ映像を残す話だったが、その現実版がまさにこの映画にあたる。『マイ・ライフ』のマイケル・キートンは自分が歩んできた人生を例えれば長編小説のように語っていくが、グリーソンはあるときは火おこしの方法、あるときは挫折にぶつかったときの対処法など、この世に生れ落ちる子どもが成長の過程でぶつかるであろう疑問や悩みに、父親として考えられるよき対処法をあくまでも意見としてフランクに語る、つまりは短文のエッセイのように積み上げていくのだ。


 当初はグリーソンが自撮りでこっそりカメラに向かって語りかけていたが、途中から妻との日常の様子を映すようになり、グリーゾンの病状が進むにつれ、今度は介護人が夫婦にカメラを向けるようになる。介護人と言っても、グリーソンの妻、ミシェル・ヴァリスコの昔からの知り合いなのでいわば身内。だからこそ飾り気のないALS患者の日常がありのままに記されている。例えば、病気を知ったグリーソンの父親が宗教に救いを求め、息子夫婦を連れて行って、そこで奇跡を求めたパフォーマンスに巻き込まれるシーンがある。神父のスーパーポジティブな言葉に従って、動かない足を気力で動かそうとして、走ろうとしては転がるグリーソンを見て、妻のミシェルは「こんなの信じない」とそこに連れてきた義父に向って猛然と抗議をしだす。誰もが病気を治したい、でも、その方法論や救いの求め方は家族と言えどもまるで違う。そこで生じる軋轢の風景。 


 と同時に、グリーソンはスター選手だった過去もあるので、マスコミが映したヒーローでかっこいいときの映像もふんだんにある。病気が進行するにつれ、グリーソンは自身の闘病だけにとどまらず、アメリカでは良く知られているとは言えないALSの患者たちの代弁者となって、補償を求めて政府と交渉するようにもなる。


 そういった輝かしい表の顔と、ひとりでは排泄も出来ず、自分のふがいなさに悔し涙を流す顔。この両方の映像があるからこそ、この作品は豊かなものになっている。そして夫婦は闘病の記録ではなく、幸せな記憶の映像を残すことを第一としているので、病状が許す限り、アラスカ旅行に行ったりスカイダイビングをしたり、何か新しいことを見つけてはチャレンジする姿も撮り続けるのだ。



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