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『あの頃ペニー・レインと』弱冠15歳で音楽ジャーナリスト。映画監督キャメロン・クロウの珠玉の自伝映画

(c)2000 DREAMWORKS FILMS L.L.C. AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES,INC. ALL RIGHTS RESERVED.

『あの頃ペニー・レインと』弱冠15歳で音楽ジャーナリスト。映画監督キャメロン・クロウの珠玉の自伝映画

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クロウが師匠と仰ぐ伝説のロック評論家、レスター・バングスとは?



 一方で『あの頃ペニー・レインと』には、実在のバンド名などに加え、何人かの実在人物が実名のまま作中キャラクターとして登場する。先述した『ローリングストーン』誌のベン・フォン=トーレスもそのひとりだが、最大のリスペクトとオマージュが捧げられているのが伝説的なロック評論家のレスター・バングスだ。演じるのは名優フィリップ・シーモア・ホフマン。


 レスター・バングスは、キャメロン・クロウと同じサンディエゴの出身。映画の中では、たまたま帰郷していたバングスが地元のラジオに出演するシーンで初めて姿を見せる。その様子を彼のファンであるウィリアム少年が路上から覗き見している。マシンガントークでブース内のDJを圧倒するバングスの猛烈な喋りは、こんな調子だ。


 「(レコード棚から1970年のアルバム『モリソン・ホテル』を引っ張り出しつつ)ドアーズのジム・モリソン? あんな奴、詩人気取りの酔っ払いだ。それに比べてゲス・フー(カナダのロックバンド)はガッツがある。おっ、イギー・ポップだ! サイコーだね! よし、こいつを流そう」。そうしてイギー&ザ・ストゥージズの超名盤『ロー・パワー(淫力魔人)』(1973年)をプレイヤーに掛け、あのキラーチューン「サーチ&デストロイ」が爆音で荒々しく鳴り響く――。


 ロック・ジャーナリズムのパイオニア的存在であるレスター・バングスは、1948年生まれ。一般には神格化されている高名なミュージシャンもガンガン斬っていくバングスが何より嫌ったのは、カウンター・カルチャーとして先鋭化していったはずのロックの産業化、商業主義だった。


 地元郊外のグロスモント大学に通っていた頃、1969年から『ローリングストーン』誌に寄稿しながらも、やがて過激な論調が問題視されてクビになる。どんどん巨大なシステムに呑みこまれていくロックの状況を激しく憂うバングスが希望を託したのは、ザ・ストゥージズがいるデトロイトのガレージでフリーフォームなロックシーンであり、しばらくは同地を拠点とする『クリーム』誌を中心に活動を展開していった。その時期に彼は「パンクロック」という言葉を初めて記事に書き、また「ヘヴィメタル」という言葉も、ウィリアム・S・バロウズの小説『ソフト・マシーン』(1961年)から引用する形でバングスが使い始めたとされている。


 どんだけ偉大なんだ!って話だが、しかしその才能や功績に比べ、彼の人生やキャリア自体はむしろ不遇だったと言っていい。


 ウィリアム少年、すなわち15歳のキャメロン・クロウがバングスに出会ったのは、ちょうど『ローリングストーン』誌からホサれ、『クリーム』誌の編集長としてデトロイトに住んでいた頃だ。この映画『あの頃ペニー・レインと』では、「正直に、厳しくあれ」など、意気揚々と自説や持論を捲し立てながらも、その真摯さゆえに脇に追いやられていくバングスの孤独もさりげなく(同時に切々と)描かれている。


 実際のバングスは1982年、咳止め薬の大量摂取により33歳の若さで死去。また演者のフィリップ・シーモア・ホフマンは、2014年に自宅アパートで薬物の過剰摂取により46歳で死去。このキャスティング、おそらくキャメロン・クロウはホフマン本人の中にバングスに通じる陰影を見たのではないか。決して出番は多くないが、ホフマンがバングスの魂に深くシンクロしていくリアルな芝居の力も、『あの頃ペニー・レインと』を破格の名作にしている決定的な要因であることは間違いない。


 この映画での扱いの大きさから察するに、助監督や映画学校などの訓練経験がないキャメロン・クロウにとって、きっとレスター・バングスこそが永遠の「心の師匠」なのだろう。例えば先述したスクリプト本掲載のアンドリュー・パルバーによるインタビューの中で、「どういうきっかけで音楽とジャーナリズムの世界から映画に転向されたのですか?」という質問に、クロウはこう答えている。


 「今でも一番好きなのは音楽。あらゆる意味で、映画を作るのって、あらゆるレコードが全部置いてある暗い部屋の中で、映画にあった音楽を選んでいく作業なんだ。今まで映画を勉強したり、フィルム・スクールに行きたいと思ったことはないよ。でも(中略)俳優にインタビューするようになって、映画に興味を持ち始めたんだ」。


 1979年、キャメロン・クロウは22歳の時、飛び級のため満足に体験できなかった高校生活を「取材」するため、実際にハイスクールに潜り込んで学生に成りすまし、青春小説『初体験/リッジモント・ハイ』を上梓。その映画化の際(1982年/監督:エイミー・ヘッカーリング)、脚本を務めたことが映画のキャリアのスタートとなった。


 また音楽系の映画では、グランジ全盛期のシアトルを舞台にした監督作『シングルス』(1992年)からのつながりで、パール・ジャムのドキュメンタリー映画『PJ20 パール・ジャム トゥウェンティ』(2011年)も監督。さらに『お熱いのがお好き』(1959年)や『アパートの鍵貸します』(1960年)などのハリウッド黄金期を代表する名監督、ビリー・ワイルダーの晩年期にクロウがロングインタビューした大著『ワイルダーならどうする?』(2000年/宮本高晴訳/キネマ旬報社刊)も重要な「作品」のひとつだ。これは取材嫌いで知られたワイルダーが、誠実な聞き手のクロウにだんだん心を開いていく過程の感動的なドキュメントでもある。


 つまり映画人キャメロン・クロウの原点は、やはり音楽ジャーナリストとして過ごした「あの頃」にある。彼の心にはレスター・バンクスの魂が住んでいて、いまも15歳の見習いの小僧に向けるように、愛ある毒舌で「正直に、厳しくあれ」とアドバイスをし続けているのだろう。



文: 森直人(もり・なおと)

映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「TV Bros.」「メンズノンノ」「キネマ旬報」「映画秘宝」「シネマトゥデイ」などで定期的に執筆中。


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Blu-ray ¥2,381(税抜) / DVD ¥1,410(税抜)

発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

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