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『あの頃ペニー・レインと』弱冠15歳で音楽ジャーナリスト。映画監督キャメロン・クロウの珠玉の自伝映画
2017.09.13
『あの頃ペニー・レインと』あらすじ
厳格な母に育てられ、セックスもドラッグも知らない優等生。そんなウィリアムが地元誌に書いた原稿がローリングストーン誌の目に留まり、フツーの15歳の生活から一転、ロックの世界に没頭してゆく。ブレイク寸前のバンドに同行取材することになったウィリアムは、グルーピーのリーダー、ペニー・レインと出会う。それは切ない恋の始まりだった・・・。
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業界デビューは有名誌の音楽ライターだった超変わり種の映画監督
映画監督の出自、というものについて考えたことがあるだろうか。助監督などのスタッフ出身、映画学校の卒業生あたりが、おそらく最も一般的。俳優から監督業に進出したパターンも少なくないが、いろんな監督の経歴を探っていくと、映画史に名を残すビッグネームの中にも変わり種が存在する。
例えばスタンリー・キューブリックは、業界のキャリアを『ルック』誌のカメラマンとしてスタートさせた。クエンティン・タランティーノは高校を中退して劇団に入ったあと、マンハッタン・ビーチのビデオショップの店員をしながら膨大な映画の知識を蓄えていった。あるいは黒澤明の場合、撮影所の助監督になる前は本気で画家を目指しており、18歳の時には二科展入選も果たしている。
そんな中、指折りのレアケースと言えるのが、音楽ジャーナリスト出身で、しかも弱冠15歳にして『ローリングストーン』誌に寄稿していたひとりの映画監督だ。
かつての天才少年ライターが、のちにハリウッドのトップディレクターになった――という、まさに“小説より奇なり”なリアルストーリー。この究極の変わり種が、『セイ・エニシング』(1989年)や『ザ・エージェント』(1996年)などの人気監督、キャメロン・クロウである。
1957年、米カリフォルニア州で生まれたキャメロン・クロウは、お堅いインテリ家庭に育った。父親は早くに亡くなっており、大学教授で超スクエアな母親からは「最年少の弁護士」を嘱望され、飛び級で二学年上のクラスに入れられていた。
そんな表向き真面目な優等生だったキャメロン少年だが、反抗的な姉の影響でどんどんロックに魅せられていった。そして1973年、地元サンディエゴの新聞に書いた記事が評価され、いきなりサブカルチャー誌の大手『ローリングストーン』誌(1967年創刊。当時はサンフランシスコが拠点。1977年に現在のニューヨークに移転した)からの依頼を受ける。担当編集者はアジア系の有名ジャーナリスト、ベン・フォン=トーレス。ただしトーレスは、まさか電話の向こうの相手が15歳の小僧だとは思っていなかったという。
こうしてキャメロン少年は、期待の新鋭ライターとして、ロックバンドのツアー密着取材にトライすることになる。その経緯を描いた自伝的映画が、彼の一世一代の名作と呼べる『あの頃ペニー・レインと』(2000年/アカデミー賞脚本賞受賞)だ。