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『ナワリヌイ』、見ない手はないでしょ【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.3】

『ナワリヌイ』、見ない手はないでしょ【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.3】

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 6月17日公開の『ナワリヌイ』をオンライン試写で見た。で、「CINEMORE」編集部から公開前なのでネタバレに注意してください、という連絡をいただいたのだ。まぁ、僕が専門の映画ライターではないからそこらへんのサジ加減を心配してのことだと思うが、なかなか興味深いポイントだなと思うので、まずそこから書き始めたい。


 というのも『ナワリヌイ』がドキュメンタリー映画だからだ。アレクセイ・ナワリヌイはプーチン政権批判の急先鋒として世界的に知られ、ロシア国内ではカリスマ的人気を集めるジャーナリスト、社会活動家だ。BBCやCNNのような西側のニュース報道を見る習慣のある人なら耳なじみのある名前だと思う。SNSのタイムラインに「プーチンから毒殺されかけ、ドイツに運ばれて一命を取りとめたジャーナリスト」の国際ニュースがリツイートされてきたことはないだろうか。彼がアレクセイ・ナワリヌイだ。


 つまり、僕らは「プーチンから毒殺されかけ、ドイツに運ばれて一命を取りとめたジャーナリスト」のストーリーをあらかじめ知っているのだ。「ドキュメンタリー映画においてネタバレとは何か?」は非常に面白い論点だと思う。


 連想するのは(これはドキュメンタリー映画の例ではないが)、『タイタニック』のネタバレというジョークである。ケイト・ウィンスレットとディカプリオの『タイタニック』をまだ見てない青年がいた。「見てみようかな」というので、年長の友人が「あれは見たほうがいいよ。沈没するシーンは大迫力だ」と薦める。と、青年が怒りだすのだ。「え、タイタニックって沈没するんですか? ネタバレはやめてください!!」。


 ことは「事実」をどう扱うか、にかかっている。「タイタニックは沈没する」は歴史的「事実」だ。歴史的事実は言い換えると「常識」であったりする。一般的にはタイタニック沈没は「常識」であり、それを語ることはネタバレではない。


 だけど『ナワリヌイ』は面白いところに触ってると思うのだ。アレクセイ・ナワリヌイをめぐる「事実」はまだ「常識」というほどは定着していない。件(くだん)の毒殺未遂事件は2020年8月の出来事だが、今なおホットであり、ロシア=プーチンがウクライナに軍事侵攻した現在は特にそのホットさを際立たせている。


『ナワリヌイ』予告


 まず、その「事実」がアレクセイ・ナワリヌイ自身によって発信されたものだという点がホットだ。彼は活動家(アクティビスト)だから、自らYouTubeやTikTok等で「事実」をじゃんじゃん発信している。映画『ナワリヌイ』で毒殺未遂事件の詳細が描かれるが、その一部は既に(本人が投稿した)動画で僕も目にしていたものだ。「事実」はまだアクティブなのだ。「事実」は闘いの武器になっている。比喩を用いるなら、「事実」が博物館のガラスケースや美術館の額縁のなかにおさまりきらず、ストリートを飛び跳ねている。


 「事実」は近年、フェイクニュースが問題となってエッジに躍り出た。何が「事実」なのか、誰もが頭を悩ましている。場合によっては同じ出来事(を切り取った動画)を、対立する2つの陣営は「事実」として闘わせている。そこでは常に「事実」の意味が生起され、定義され、物語化されたりする。


 いっとう最初に僕が(CINEMORE編集部をダシにして?)発した問い、「ドキュメンタリー映画においてネタバレとは何か?」は映画『ナワリヌイ』においてこそ面白いのだ。なぜかというと毒殺未遂事件の細部、切迫したシベリア便の光景、神経毒ノビチョクの恐怖、そしてナワリヌイのチームによる反撃、あぶり出される犯人etc、は立派にネタバレしている。疑惑(というのも何だが)を向けられたプーチンが「CIAの関与」によるフェイクとして退けようとし、「もし暗殺されるべき存在ならとっくに殺されている」と語ったのも世界中が目撃した。


 だが、個々の要素を見知っていても尚、映画『ナワリヌイ』は戦慄すべき面白さだ。これは見ない手はない。YouTubeで見た場面、BBCで見た場面が全部つながる。あぁ、こういうプロセスがあったのかと驚く。僕はドキュメンタリーの基本は「見えないことを見えるようにする」だと思っている。見えないこと、わからないでいたことにスポットを当てる。斬り込んでいく。という意味では『ナワリヌイ』はドキュメンタリーの基本を外していない。断片を見て、知っていた(つもりだった)ことがはっきりと見えてくる。



 『ナワリヌイ』© 2022 Cable News Network, Inc. A WarnerMedia Company All Rights Reserved. Country of first publication United States of America.


 最後に個人的な感慨をつけ加える。僕はソ連末期のモスクワやサンクトペテルブルクを旅したことがある。3週間の旅程だった。コーディネーターを務めてくださったのは故・米原万里さんだった。ソ連の断末魔は悲惨だった。ルーブルよりも(米ドルはもちろん)タバコのマルボロが信用ある事実上の「通貨」として流通していた。モスクワのマクドナルド開店に長い行列ができた。人々は流行語みたいに「資本主義」や「市場原理」を口にしたが、実際の意味は理解していなかった。ロシア人にとっては「敗戦」だったろう。


 それがやがて新興財閥(オリガルヒ)の勃興に結び付き、「偉大なロシア」の復権が叫ばれるようになる。「ソ連」の亡霊が浮かび上がる。僕らが毎日見ているウクライナのニュースはあのとき、僕が旅して見聞きしたものに直結している。


 「事実」の意味は歴史の文脈のなかで定着していく。それは単体ではなく、大きな流れとして捉えられてしかるべきだ。映画『ナワリヌイ』にはまだ僕らの知らない意味が、これから生起されるのかもしれない。獄中のアレクセイ・ナワリヌイが近い将来、民主化されたロシアの指導者になるのかもしれない。願わくばこの作品のなかにその世界線が埋め込まれていますように。

 


文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



『ナワリヌイ』

配給:トランスフォーマー

6月17日(金) 新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほかにてロードショー

© 2022 Cable News Network, Inc. A WarnerMedia Company All Rights Reserved. Country of first publication United States of America.

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