歩いて見た岩波ホールと神保町【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.6】
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参院選明けの月曜日、朝イチで岩波ホールへ向かった。『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』(19)を見るためだ。ご存知の通り、日本のミニシアターの草分け的存在、岩波ホールは今月29日、54年の歴史に終止符を打つ。新型コロナの影響により観客数が減少し、劇場の運営が困難になったということだ。
もちろん僕は岩波ホールにさよならをするつもりだった。たぶん29日の営業終了が近づくと込み合って大変なことになるだろう。僕は「最後の瞬間に立ち会いたい」みたいな意識が希薄で、できたら騒ぎにならないうちに静かにお別れがしたい。
地下鉄A6出口。岩波神保町ビルに直結していて、階段を上ると上映作品の看板が目に入る。僕は20代の駆け出しライターの日々、ほとんど毎日のように神保町に通った。A6出口を出ると神保町交差点だ。白山通り沿いに当時は集英社と小学館のビルが並んでいた。僕のライター修業時代はメールはおろかファックスもない時代だった。ライターは今のように自宅で仕事するのでなく、編集部に集まって一晩で仕事をかたづける。だから毎晩、雑誌社にはライターやらデザイナーやらとにかく大勢の人がいた。みんな仕事がなくてもとりあえず編集部に顔を出す。
「六法のちらし取る人ーっ?」
宵の口、若手編集者が出前の注文を取る。「六法」は神保町交差点近くの寿司屋で、ちらしがとにかく旨かった。そういうとき、別に仕事で行ったわけじゃないのに「はーい!」と手を挙げるのだ。まだ出版の景気はよくて、人数に混ぜてもらえた。独身の頃だったから「はーい!」と手を挙げると晩ごはんが支給されるシステム(?)は最高だ。で、そんな感じでそこらをうろうろしてると「お、えのきど君、ちょうどよかった、今、ヒマ? ちょっと4ページやってもらえないかなぁ」と仕事にまでありつけた。そりゃ日参するでしょう、神保町。
編集部は午後3時頃まで誰も出社して来ない。取材の後やなんか、担当編集者が出てくるまでヘンに時間が空くときがあった。で、神保町はものすごく時間がつぶせる街なのだ。タンゴ喫茶ミロンガがある。パチンコ人生劇場がある。もちろん古書店めぐりをしたら2、3時間あっという間に過ぎる。お気に入りは映画演劇演芸の矢口書店、豆本専門の呂古書房など挙げたらきりがない。
もちろんそこに岩波ホールが加わる。時間が合えばサッと見に行けた。『痴呆性老人の世界』(86)『マルチニックの少年』(83)『八月の鯨』(87)、見た順がわからないけど、やっぱり80年代にかかった作品がパッと浮かぶ。いちばん最近見たのは『ゲッべルスと私』(16)かな。今は地方都市にもミニシアターがあるけれど、昔は岩波ホールにかからなきゃ見られない作品があった。
で、僕みたいに時間が空いたから飛び込みで見に行く観客からすると、岩波ホールはどこへ連れていかれるかわからない魅力があった。ハリウッド製のエンタメ作なら大体、察しがつく。岩波ホールがかけてくれるのは地下鉄出口の看板、ポスターしか手がかりがない。どこの国の映画で、どんな作家性のどんな監督か、行ってみて初めてわかるのだ。「エキプ・ド・シネマ」の運動は知られざる名作・佳作を発掘してきた歴史だ。上映が始まって「うわ、こんなことでしたか」というのが何度もあった。僕はそうやって考えもしないところへ連れていかれるのが好きだった。
思い出話が長くなった。『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』はまさに見る者をどこか遠くへ連れて行こうとする映画だった。基本的な構造はブルース・チャトウィンというイギリス生まれの放浪作家の半生をたどったドキュメンタリーだ。ちなみに原題は「ノマド」なのだが、邦題を「歩いて見た世界」にしたセンスは素晴らしい。「歩いて」「見る」「世界に出会う」という私的な行為をタイトルで印象づけてくれる。そうなのだ、この映画は作家にフォーカスした文芸ドキュメンタリーであるよりも、非常に私的な行為の連なりを描いた映画だ。監督は『アギーレ・神の怒り』(72)のヴェルナー・ヘルツォークだが、この人がすごい。何というのか、本当に共感と愛情を込めてブルース・チャトウィンの私的な視線をトレースするのだ。
『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』©️SIDEWAYS FILM
第1章「ブロントサウルスの皮」では、少年時代、ブルースがおばあちゃん家にあったブロントサウルス(実は大ナマケモノ)の毛皮を欲しがったというエピソードが語られる。何だそれは、である。いや、そんなことは自分にもあったのではないか。そんな誰しもの心に眠っているような夢の断片。その湿った偏愛のような「私的」な関心がブルースを旅立たせる。中央オーストラリアのアボリジニのもとへ、南米チリへ、パタゴニアへ。その歩みを映画はトレースしていく。文芸評論家ならばそこに意味を見出していくのだろうが、僕のような「飛び込み」の目には幻影や幻想の連なりに見える。美しくて示唆に富む幻影・幻想。あまり説明的なつくりじゃないから、物事をわかりたい人には不親切だ。「よくわからない美しいイメージ」をよくわからないまま受け取ることになる。
それがとても心地いいのだ。もしかしたら岩波ホールはもう一度、僕を遠くへ連れ出してくれたのかなぁと思う。岩波ホールがなくなっても、皆さん、ここではないどこかへ歩いていきなさい。その旅をつづけなさい。そういうことかなぁと思う。帰りにロビーの女性に「ありがとうございました」と言おうかなと思ったが、恥ずかしくてやめた。何といってもまだ岩波ホールは営業を続けている。お礼は心のなかで言えばいい。
※文中、名前を出した「パチンコ人生劇場」「寿司六法」は岩波ホールより早く営業を終えている。餃子の「スヰートポーヅ」も閉店した。神保町も変わっていくのだ。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』
2022年7月29日(金)まで岩波ホールにて上映中
他、全国順次公開
配給:サニーフィルム
©️SIDEWAYS FILM
特集上映「ヴェルナー・ヘルツォーク・レトロスペクティブー極地への旅」
2022年7月18日(月・祝)まで岩波ホールにて開催
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