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ギンレイホールと『セイント・フランシス』【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.15】

(C) 2019 SAINT FRANCES LLC ALL RIGHTS RESERVED

ギンレイホールと『セイント・フランシス』【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.15】

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 飯田橋ギンレイホールの閉館が近づいている。当コラムは隔週連載のため、今、この話題に触れておかないと11月27日の閉館より後になってしまう。ギンレイホールは僕のホームだ。「ギンレイ・シネマクラブ」の会員になって、年間パスを購入している。これは上映期間中の映画を何度でも見ることができる、サブスクの先取りみたいな優れもののシステムで、おかげで僕は得意のときも失意のときも(そのどちらでもないときも)名画座のやさしい闇ののなかでホッと息をつくことができた。まぁ、スポーツならひいきチームのホームスタジアムがあるだなぁ。ギンレイホールに寄ってからTBSラジオの仕事へ向かったこともあるし、雑誌の打ち合わせを近くのスタバやドトール指定で済ませたこともある。もはや生活の一部に組み込まれている。


 それが入居ビルの建て替えにともなって閉館することになった。僕はどうしたらいいんだろう。先日も『ベイビー・ブローカー』(22)と『セイント・フランシス』(19)の2本立てを見てきたのだが、ぜんぜん実感が湧かない。ずーっとこのまま映画館を続けてくれそうに思える。永遠に2本立てを見せてくれそうな気がする。


 ギンレイホールは名画座のなかでも、かつて「二番館」「三番館」と呼ばれてきたタイプの映画館だ。ロードショーが終わった作品のなかから番組を編成する。だから映画ファンとしては少し待つだけで「ちょっと前に話題になった新作」が格安で見られるのだ。本で言えば古本(もしくは新古本?)だろうか。かつては「お金のない若者」が「二番館」「三番館」に見に行くイメージだった。都内には沢山の名画座があって、若者らは『ぴあ』や『シティロード』といった情報誌を手に映画館に日参した。


 僕自身が若者だった頃は三鷹オスカーがホームだった。これは3本立て館で、(隣の好味屋というパン屋でぶどうパンを買って)午前中に映画館に入ると、終わって出てくるときは夕方になっていた。一日を台無しにしてくれる、と言うとよくないことのようだが、何をしたらよいかわからない、エネルギーをため込んだ、鬱屈した若者には「一日をハッピーに台無しにしてくれる」3本立て館は救いだった。考えもしなかった光景や物語が、あざやかに眼前に展開され、僕の心の栄養になった。大学時代は年間100本ペースで三鷹オスカーに映画を見せてもらった。


 ところで僕は大人になってプロのライターになり、どうしようもないヘビースモーカーになった。煙草がないと原稿が書けない。芝居の『上海バンスキング』じゃないけど、自分の若さや健康を前借りして仕事を続けたのだ。で、COPD(慢性閉そく性肺疾患)の症状が顕著になる。小さな咳が止まらず、浅い息しかできない。僕はそこであきらめたのだ。自分の若さをあきらめた。無茶苦茶をしてエネルギーを蕩尽するスタイルをあきらめた。病院の禁煙外来に通ってクリーンな生活を始める。ただそれだけじゃあまりにも寂しいから、(煙草銭の浮いた分で?)自分にギンレイホールの年間パスをプレゼントしてやった。三鷹オスカーの頃、幸せだったから。あの頃みたいに一人ぼっちだから。


 『セイント・フランシス』の話をしなきゃいけない。これはすごくいい映画だ。主人公のブリジットの抱える屈託(の少なくとも一部)は僕にとっても身近なものだ。大学を中退して、今はレストランの給仕をしている34歳、独身の女性。世間的なモノサシで言うとうだつが上がらないんだろうなぁと自分でも思っているが、そこは突き詰めない。ビジネスキャリアも築けず、家庭も持てず、押し出しの強いことは何ひとつない。


 で、頼まれてナニー(子守り&しつけの仕事)の面接に行く。ナニーは本来はイギリスっぽい表現だけど、ベビーシッターよりも少しお母さん業に近い。面接で訪ねた家庭は黒人とヒスパニックのゲイのカップルで、2人とも女性だから娘のフランシスは「ママ」と「マミー」と呼び分けている。つまり、ブリジットは「ママ」でも「マミー」でもない、第3の(若く、もろく、不安定な)お母さん業というのかな、まぁだいぶ友達に近い感じで6歳児のフランシスに接する。



『セイント・フランシス』(C) 2019 SAINT FRANCES LLC ALL RIGHTS RESERVED


 この映画の画期的なところは生理とか中絶とか、産後うつといった女性視点の出来事がフラットに描かれているところだ。監督のアレックス・トンプソンという人は男性だけどなぁと思ったら、脚本が何とブリジット役のケリー・オサリヴァン本人だった(!)。この女優さん、体当たりでがんばってて、いい感じだなぁと思ったら、自分の脚本でブリジットを演じていたのだ。


 詳細はここでは省くけれど、僕は今回も「考えもしなかった光景や物語」に出くわし、感じ入り、勉強にもなった。僕はずっと男として生きてきて、ほぼ9割9分男の考えた物語やモノの考え方に接してきたから、あぁ、女性から見るとこういうリアルなのかと思う。


 男の考えた物語のなかの「女性」は理想化・類型化されていたりする。例えば中絶を扱うにしてもこんなにフラットに扱わない。宗教右派とのからみでテーマ主義っぽく描いたり、まぁ、歌でいったらサビのところ、聞かせどころで扱うような感覚だ。この映画はAメロの途中くらいのフラットさで扱っている。自分の身体の、色々ある出来事のひとつというフラットさだ。


 僕には妹が2人いるんだけど、上の妹のデートの後のことを思い出した。妹がデートの後、彼氏に送ってもらって家に帰ってくる。たぶんクルマが家の前に着いてから、いちゃいちゃして別れを惜しんだり、キスしたりしたんだと思う。で、さよならを言って家に帰ってきて、最初に妹は何をするか?まっしぐらにトイレへ向かうのだ。いちゃいちゃはしているけど、おしっこもガマンしてたんだと思う。これが毎回、必ずそうだった。僕はなるほどなぁと思ったのだ。僕だってデートの後、クルマで彼女を家まで送って、いちゃいちゃしているけれど、キスの後、とろけそうな表情で彼女は家に帰っていくけれど、あの後、たぶんトイレに直行しているのだ。こっちは幻想を見てるけど、向こうは現実を生きている。それに気づいて以来、なるべく「トイレ大丈夫?」と聞くようになった。もし、恥ずかしくてトイレをガマンしていたら悪いなぁと思った。


 だからギンレイホールのおかげで、今回も僕は普段見ないほうから物事を見て、普段考えないほうから物事を考える機会を得たのだ。ゲイのカップルや、何者でもない主人公や、身体性を獲得しつつある少女の「生きるプライド」に触れたのだ。ギンレイホールは今月の終わりまでこうして僕に心の栄養をくれる。本当に本当に大事な場所だ。


 今の飯田橋で48年続けてきたそうだ。ありがとうギンレイホール。今は移転再開の吉報をただ待っている。ていうか、19日から『君を想い、バスに乗る』(21)『マリー・ミー』(22)の最後の2本立てが始まる。もちろん楽しみに見に行くつもりだ。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




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