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新潟シネ・ウインドで『スープとイデオロギー』を見る【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.9】

(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi

新潟シネ・ウインドで『スープとイデオロギー』を見る【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.9】

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 夏の終わりだ。新潟で半日、身体が空いたのでシネ・ウインドの朝イチの回に行った。シネ・ウインドは正式名称「新潟・市民映画館 シネ・ウインド」。座席数64のインデペンデントなミニシアターだ。僕はJリーグ、アルビレックス新潟の縁でシネ・ウインドの井上経久支配人と親しくなって、会報「月刊ウインド」で10年近く映画コラムを書くに至っている。ここがいいのは事務所や映写室の奥に雑然とした編集部があり、これが大学のサークル室みたいなのだ。僕はこの部屋でだらだらするのがことのほか気に入っている。どうだろう、ミニシアターの映写室の奥の小部屋をぶらっと訪ねて、小一時間、昼寝したりする人生は? ひとつの理想ではないか。会報の執筆者でホントによかった。


 『スープとイデオロギー』(21)はずっと見たかった映画だ。ポレポレ東中野まで足を延ばせばよかったんだが、タイミングを逸していた。ちょうどこの週末(8月20日)は柏のキネ旬シアターでヤン ヨンヒ監督、荒井カオルプロデューサーの舞台挨拶、関連書籍サイン会が行われてるはずだ。東京下町から柏はすぐだ。でも、どういうわけか新潟でこの映画と出くわした。映画はどこで見たって同じようなもんだけど、旅先で見た映画は不思議と映画館の記憶とくっついている。福井のメトロ劇場で見た『マン・オン・ワイヤー』(08)、愛知の刈谷日劇で見た『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』(19)etc、何かそこで見るのが運命だったような気がしてしまう。


 それにこじつけるなら、新潟は北朝鮮への帰還事業の発港(はっこう)となった場所だ。ここは大陸が近い。もちろん拉致被害や不審船のようなこともある。また聖籠町のスーパーでは少し前までロシア語で閉店時間の案内がアナウンスされていた。中古車の輸入業者が住んでいたそうだ。


 『スープとイデオロギー』はヤン ヨンヒ監督の家族史を掘り下げていく映画だ。ヤン監督は大阪出身。ご両親は熱心な朝鮮総連の活動家だったという。安藤サクラ主演の『かぞくのくに』(12)で描かれたように、ヤン監督のお兄さんは帰還事業で北朝鮮へ渡っている(『かぞくのくに』では井浦新演じる兄1人だが、実際には3人である)。ご家族は文字通り「分断」されている。ヤン監督は映画を作ったことで北朝鮮へ入国できないそうだ。


 大阪のひとつの家族の悲劇は、歴史の悲劇とつながっている。


 本作のなかでヤン監督はオモニ(お母さん)に向かって言う。「ずっと思っていた。何で息子を3人も…」。


 「済州島4・3事件」の記憶が掘り起こされていく。1948年~49年にかけて、李承晩政権下の軍や警察によって、少なくとも1万4千強の島民が虐殺されたといわれる韓国史の暗部だ。ヤン監督のオモニは済州島の出身だった。4・3事件の虐殺を目の当たりにして、渦中から船で逃げてきた人だった。



『スープとイデオロギー』(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi


 実は僕個人にとっても済州島は身近な土地だ。僕はプロ野球の北海道日本ハムファイターズのファンで、なかでも森本稀哲選手の大ファンだった。荒川区の東日暮里にひちょりのご両親が経営する焼肉屋さんがあって、嬉しくて日参していたのだ。東日暮里、まぁ、わかりやすく言うと三河島の一帯は焼肉屋、韓国料理屋がひしめいていて、済州島出身の人が多い。最初に三河島で商売に成功した人が郷里から人を呼び寄せたと言われている。僕のヒーロー、ひちょり選手のルーツも済州島にあった。


 で、お店に通ううち、石だらけで、働き者の女が多いという済州島に少しずつ詳しくなる。「在日」の生活感覚に詳しくなる(既にひちょりは帰化している)。済州島は日本でいえば沖縄にちょっと似ているそうだった。「本土」の人からは偏見で見られるところがあるという。


 家族ぐるみの付き合いになって、色々教えてもらった。例えばの話、僕は「在日」の家族の国籍(パスポート)は、元の居住地・出身地が38度線の北にあるか南にあるかで決まるのかなと単純に考えていた。だから南も南、半島から海にせり出した(いちばん南の)済州島出身者は全員、韓国籍だろうと。


 そんなことではなかった。国籍(パスポート)は居住地・出身地と関係なく、自分で選び取ったものだった。だからヤン監督のご両親は(総連の活動家だから)北を選ばれたわけだ。だからこそ、3人のご子息を帰還事業で北へ旅立たせ、その後、生活を助けるため送金を続けたのだ。


 映画は(アルツハイマーのため、薄れゆく)オモニの記憶をたどり、済州島の現地聞き取りへ向かう。僕がひちょりのお父さんと2人、日韓W杯の試合観戦に訪れ、親戚の方とご飯を食べたりした同じ島、同じ光景だ。ヤン監督のオモニが心の傷を抱え、命からがら逃げだした島は2002年、リゾート開発でわき立っていた。そういうところも沖縄に似ている。外部資本に島民の暮らしは振りまわされるのだ。


 ヤン監督の言葉、「ずっと思っていた。何で息子を3人も…」の答えは重い。(オモニ自身の婚約者も含む)村のほとんどが殺されたのだ。なぜ軍事政権の韓国籍を選ぶだろう。北朝鮮は「地上の楽園」と宣伝されていた。日本政府も帰還事業を後押しした。


 その事実に直面したヤン監督の姿は胸揺さぶられる。そうつながるのか。そう連鎖するのか。


 最後にこの映画の好きなところを書いておきたい。4・3事件という悲惨な出来事に触れつつも、トーンがとても温かいのだ。オモニの思いを理解しようとする目線が温かい。表題の「スープ」はサムゲタンなのだが、これが旨そうでたまらない。それからヤン監督が新しい家族をつくるくだりがとてもいい。暮らしは続いていくんだなと思う。暮らしは強いんだなと思う。 



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



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