© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA
『午前4時にパリの夜は明ける』、時は過ぎたけれど…【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.26】
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胸の奥の深いところまで沁み込んでくるような、滋味あふれる映画でした。以下はひょっとしたらミカエル・アース監督の演出意図とぜんぜん違っているかもしれないけど、僕の見た『午前4時にパリの夜は明ける』(22)の話をします。この映画の舞台は1980年代のパリなんですよ。オープニングでフランス大統領選でミッテランが勝利した81年5月10日が映し出される。とても短いパートで、物語の序章ですね。僕はこれ、重要だと思いました。ほら、あの日だよ、あの夜だよ、思い出して、と映画が告げている。「ミッテラン大統領」誕生だ!一度敗れたジスカール・デスタンをついに負かした。希望の時代がやってくる。良い時代がやってくる。
みんなあのときそう思ったよね。
みんなあのときそう思ったけど、そうはならなかったよね。
という感情が下敷きだと思うんです。ミッテラン政権下、共産党との連立内閣が発足し、死刑廃止や労働時間短縮、有給休暇の拡大、大学入試撤廃、テレビ・ラジオの自由化といった諸政策が打ち出されます。パリのリベラル層は歓迎したんです。だけど、翌82年にはガラッと空気が変わる。「ミッテランショック」と呼ばれるインフレや失業者の増大に直面するんです。政策は右に急旋回、共産党は政権を離脱します。
大きな括りで言うと、この映画は80年代ノスタルジーじゃないかなと思います。僕は82年春に大学卒業なので、若者としてこの時代の空気を吸っている。気分的にはとても生々しい時代です。まさかあの頃が「ノスタルジー」として描かれる日がくるなんてと思う。僕は就職しないでフリーランスの道を選びました。自由に憧れていた。何でもできると思っていた。80年代のフランスというと、いちばんに思い浮かべるのは「自由ラジオ」です。それまで(保守的な)大きな局しかなかったところに、新しい音楽を紹介したり、人々のリアルな声を拾い上げたりする局がドドッとできた。いや、正確に言うと僕はそれを聴いたわけじゃありません。「ドドッとできたらしい」と雑誌かなにかで知っただけです。でも、憧れた。自由ラジオ(Radio Libre)、名前がいいでしょ。
僕は88年にFM東京(現在のTokyo FM)で初めて番組を持って、その後、TBSラジオ、J-WAVE、文化放送と一度も途切れることなくラジオの仕事をやるんだけど、究極に煎じ詰めると「自由ラジオ」がやりたかったんです。20代の貧乏ライター時代に聞きかじって憧れた「海賊放送」や「自由ラジオ」が自分でもやってみたかった。『午前4時にパリの夜は開ける』に登場する80年代フランスのラジオの世界はそういう文脈なんです。ミッテラン政権誕生の希望がつかの間見せてくれた「自由ラジオ」の空気感。
『午前4時にパリの夜は明ける』© 2021 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA
この物語は失望から始まりますね。主人公エリザベートの結婚生活が終わりを迎える。フツーの映画なら破局のシーンをもっと描くところなんだけど、そこはスルーなんですよ。「さて、彼女は一人になりました。子どもを抱えて生きていかねばなりません」ってところから始める。映画の主題が「男女の別離」みたいな人間ドラマじゃないんだ。僕は主題は「80年代」だと思います。80年代の空気のなかで、夢破れ希望を失った女性はどう現実と折り合いをつけ、生きていっただろうか、というのをその「空気」込みで見せようとしている。
エリザベートはラジオで働くんですよ。小さな局です。深夜、リスナーと「直電」をつないで悩みを聞いたりするフリートーク番組。僕も90年代にJ-WAVEでこのスタイルの番組をやりました。まぁ、90年代の東京なので「悩みを聞く」んじゃなくて、ネタを振って面白いエピソードを聞き出すパターンでしたけど、基本的な構造は一緒。番組がどこへ行くかはやってみないとわからない方式です。
人生もやってみないとどこへ行くかわからないところがありますね。ラジオ局にひとりの少女が訪ねてくる。それがタルラでした。タルラはラジオに飛び入り出演しますが、両親のことになると口を閉ざします。タルラはどこにも行くあてのない身の上だったんですね。やがてタルラはエリザベートの家で子どもらと一緒に暮らすようになる。長男のマチアスとタルラは同世代です。このタルラめぐる家族のふれあいがデリケートでとてもいいんです。
まぁ、フツーに考えたらエリザベートの一家は経済的に大ピンチです。とても他人を助ける余裕なんかない。だけど、タルラを助けることでエリザベートは救われていくんですね。家族も成長していく。ここが勘所だと思います。希望は儚(はかな)い。でも、人は助け合って生きてくしかない。現実は身も蓋(ふた)もない。でも、めげるわけにいかない。
フランスは身も蓋もないんです。インフレや失業者の増大が背景にあるはずだけど、80年代には移民排斥の流れがもう始まってるんですね。それはウルトラ化していき、現在の極右政党やその支持層のところまでたどり着く。81年、ミッテラン大統領誕生の瞬間、ほの見えた「弱者に手を差し伸べる」光は消えてしまった。自由の80年代は消えてしまった。消えてしまったのを覚えているよね? 時は過ぎたけど覚えてるよね? 僕にはそんな問いかけの映画に見えたんですね。
主演のエリザベート役、シャルロット・ゲンズブールが実に効いてます。『なまいきシャルロット』のシャルロット・ゲンズブールですよ。セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンのお嬢さん。あの将来を約束された、瑞々しい少女が時を経て、「夢破れ希望を失った女性」を演じるなんてね。僕はどうしたって「なまいきシャルロット」の面影をそこに見てしまう。同作の公開は85年です。すごいキャスティングしますね。
まぁ、若い観客にとってはぜんぜん違う映画なんでしょうね。マチアスとタルラが少しずつ接近していく、ほのかな恋物語かもしれない。それだって正解ですよね。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『午前4時にパリの夜は明ける』
4月21日(金)より、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国順次公開
配給:ビターズ・エンド
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