短編から長編へ、新たな挑戦
Q:この作品を作るにあたり、阪本監督や企画・プロデュースと美術を務めた原田満生さんからはどのようなお話がありましたか。
黒木:原田さんに「出て欲しい作品がある」と最初に声を掛けていただいたときは、時代劇だというくらいで、SDGsのような内容とは聞いておらず、短編のティザーみたいなものを撮りたいという話でした。でも原田さんとやれるんだったらきっと面白いだろうなと。
寛一郎:僕も華さんと同じくらいの時期に話を聞きました。3年ぐらい前ですね。(原田)満生さんがやっている“YOIHI PROJECT”というものから映画を1本作るんだと。満生さんが環境のことを考えているという話は聞いていたのですが、そこにはあまりピンとこなくて…。汚穢屋と侍の娘の恋物語だと聞くと、「それは無茶苦茶おもしろそうですね!」と興味が湧きました。
池松:僕もはじめは短編として参加しました。企画の話があったのが2020年でコロナ禍の最中。そんな状況の中で、今やれること、そして新しいことをやろうと、原田さんがやっている取り組みと物作りをミックスさせて、新たな配信フォーマットで流そうとしていました。実験のような感覚もありましたが、一流のスタッフが集まっているし、まぁこんな贅沢な実験はないなと(笑)。聞こえは悪いですが、この国の映画作り、それから映画を流すというシステム化され希薄化された行為に絶望していることが感じられました。そういう背景からこの映画が育っていったことは、この映画においてとても重要なことかなと思います。
Q:短編を想定して撮影が始まり、そこから長編に変わっていったそうですが、脚本は都度渡されたのでしょうか。
寛一郎:そうですね。最初は(この映画の)ラストにあたる部分の脚本しかなかった。初めに華さんと一緒にそのラストシーンを撮ったのですが、その後壮亮さんと撮影した部分は、全く別の話のような内容でした。だから最初に撮影したものがラストシーンだとは思わず、むしろ、物語のはじまりだと思っていました。
黒木:おきくがなぜ喋れなくなったのかは、最初に説明してもらっていましたし、脚本も都度いただいていました。監督がおっしゃることを忠実にやれればと思っていたので、あまり悩むことはなかったですね。
池松:僕は途中から参加したこともあり、前回撮影したものを観せてもらったのですが、それが素晴らしかった。その後僕と寛のパートを撮影し、そこでも非常に手応えを感じたし、上がってくるものも良かった。それからさらに一年後、残りの物語をまとめて撮影しました。短編から逆算するようにして、これだけの物語を産み出した阪本さんは素晴らしいと思います。