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『ソフト/クワイエット』、ヘイトクライムの恐怖【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.28】

© 2022 BLUMHOUSE PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved.

『ソフト/クワイエット』、ヘイトクライムの恐怖【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.28】

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 これは本当に怖い映画でした。最初、穏やかな幼稚園の情景から始まるんですよ。主人公は幼稚園の先生、エミリーです。美しく健康そうな白人女性。それが掃除婦(有色人種)にきつく当たり、悪口を言いつのるシーンで、まず「?」と思います。緑の多い閑静な住宅地のなかに異常性のかすかな徴(しる)しが混入する。エミリーは自身が主催するお茶会にパイを持っていくんですね。教会の談話室で開催される「アーリア人団結を目指す娘たち」の第1回会合。それは一見、何ていうことのない女子会に見えるのですが、エミリーお手製のパイにはハーケンクロイツが描かれています。


 それは白人至上主義者のお茶会だったのです。6人のヘイターはまず自己紹介をし、有色人種をどんなに不快に思っているか、そのおかげで不利益をこうむっているか話し始めます。訥々と話す1人に皆が共感を示す感じは、アメリカのドラマでよく見るアルコール中毒者の自助グループに似ています。長年1人で抱え込んできた苦い思いを打ち明け、それを受け止めてもらい、「あなたは間違ってない」と肯定してもらえる関係性は、ヘイターにとっても救いなんです。皆、意を強くし、闘おうと盛り上がる。有色人種を排斥しよう。但し、とエミリーは言います。表題の「ソフト/クワイエット」。表向きはソフトに、ひそかに心に入り込むの。それが「アーリア人団結を目指す娘たち」のやり方。


 だいたいここら辺までが導入部なんですが、映画のやり口自体が「ソフト/クワイエット」です。ありふれた日常のなかに一滴ずつ違和感のしずくをたらしていく。観客は「?」「!」とその都度思うのですが、まだ全容に気づかない。気づいたときには狂気の只中にいます。お茶会の参加者は全員、どうかしている。そりゃ教会を追い出されますよ。「通報はしないから今すぐ帰ってくれ」。


 それでエミリーの家で二次会をすることになり、途中お店に寄って食料やワインを買おうとする。そこにアジア系の女性客がやって来た。皆、今日は仲間がいることで気が大きくなっているから、ハイスクールの生徒みたいな嫌がらせをする。ところがアジア系の女性客が気が強くて、負けずに言い返してきた。物語が急展開します。まぁ、ネタバレしないでいられるのはここまででしょう。この先は内緒にします。言い忘れましたが、この映画は92分の全編を途切れないワンショットで撮っている。時間経過も昼間から夕刻、夜、と継ぎ目なく進んでいく。ワンショットの絵は感覚的にはドキュメンタリーっぽいのです。観客は自分自身が白人至上主義者の集まりに参加してるような臨場感を味わう。まるでつくりものでなく、現実のように見えます。



『ソフト/クワイエット』© 2022 BLUMHOUSE PRODUCTIONS, LLC.  All Rights Reserved.


 冒頭、「怖い映画」という風に申し上げましたが、本当に怖いのはここのところです。別にホラームービーではない。人喰いゾンビやモンスターが出てくるわけでもない。が、一見どこにでもいそうな人間が狂気をはらんでいく。怖いのは自分もそこに参加しているような錯覚を味わうのです。


 エミリーたちは立ち寄った店でアジア系の女性客に「ハイスクールの生徒みたいな嫌がらせ」を始めます。僕は自分の学生時代を思い出した。僕は父の仕事の関係で転校ばかりしていましたから、その土地土地で例えば東京弁をからかわれ、陰口を言われ、嫌がらせを受けるようなことがあった。それは本当に幼児的なものです。「よそ者をからかって遊びたい」「不愉快な感情をぶつけてやりたい」「みんなで馬鹿にして優越感に浸りたい」、そういうのは人間の根源的な何かに結びついているのだと思う。エミリーたちはいい歳の大人ですが、それぞれ差別心をこじらせていて、ちょうどイナゴが群れになると狂暴化するように暴発していきます。


 あの学生時代のような空気。誰かがイジメを受けていて、それに自分は抗うのか見て見ぬふりをするのか逡巡するような空気。あるいは一瞬で空気が変わって、攻撃の矛先が自分に向かってくるんじゃないかという恐怖感。それからもっともっと怖いのは「人間の根源的な何か」を僕自身も持っていることです。ヘイトに向かって空気がググッと動いていくとき、僕も自分のマイナスの感情を「敵認定した誰か」にぶつけたくなっている。『ソフト/クワイエット』は臨場感がありすぎ、勢いがありすぎるから自分自身が怖いのです。僕はあの店に居合わせたらエミリーたちを止められるだろうか。恐怖感で鳥肌が立ちます。


 よく陰惨な犯罪が報じられるようなとき、「こんな酷いことをした犯人は人間じゃない!」と思いますよね。人間じゃない、死刑にすればいい。感情としてはわかります。だけど、陰惨な事件の犯人が「人間じゃない」ならそんなに怖くないなぁと僕は思うんです。だってそれは人喰いゾンビとか猛獣と同じでしょ。自分とは違う、自分たちとは違うあぶない奴だ、いかれた奴だ、と思って安心していられる。


 だけど、実際にはそんな怖ろしいことをするのは人間だからですよね。『ソフト/クワイエット』が臨場感を持つのは自分の生きているこの現実と地続きだからですよね。チャレンジングな映画だと思います。オススメします。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




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『ソフト/クワイエット』

5月19日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開

配給:アルバトロス・フィルム

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