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『春に散る』、他に生きようがない男【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.35】

©2023映画『春に散る』製作委員会

『春に散る』、他に生きようがない男【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.35】

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 佐藤浩市&横浜流星ダブル主演のボクシング映画です。しかも、原作が沢木耕太郎。これはもう鉄板じゃないでしょうか。


 たぶん今、世の中の趨勢(すうせい)としては「主演・横浜流星」がいちばんお客さん呼べる点だと思うんですよ。後述しますけど、実際、クライマックスのボクシングシーンは圧巻です。よくこんなシーン撮ったなぁとびっくりします。あんなにリアルで、迫力のあるボクシングシーンは「つくりもの」では撮れない。役者・横浜流星のガチですよね。だから映画『春に散る』(23)を横浜流星の魅力で語るのは正しい。


 ただ僕の世代(の特に物書き)は「原作・沢木耕太郎」にグッと魅かれます。僕は学生時代に「ニュー・ジャーナリズムの旗手」沢木耕太郎の台頭や文藝春秋『スポーツグラフィック Number』の創刊に立ち会った。「ニュー・ジャーナリズム」というのはアメリカで生まれた新しいジャーナリズムのスタイルです。トム・ウルフやノーマン・メイラーら何人かの名前がよく挙がるのですが、「敢えて客観性を犠牲にして取材対象に積極的に関わる」ところが特徴とされました。日本では何といっても沢木さんです。


 なかでも『一瞬の夏』ですね。米兵を父に持つ若きボクサー、カシアス内藤と老トレーナー、エディ・タウンゼントの孤立無援の闘いを描いたノンフィクションのなかで、何と沢木さんはルポライターとしての一線を踏み越え、ボクシング興行のプロモーターまで買って出てしまう。その対象への傾斜のしかたがすごかったんです。同世代の物書きを志すワカゾーはみんな夢中になった。事実ベース、客観性が重んじられるジャーナリズムの世界に「僕」という主語が誕生したんです。だってプロモーターですよ、ボクシングのタイトルマッチという「事実」ベースをつくり出す主体(の一部)に「僕」がなってしまうんです。そんなノンフィクションは読んだことがなかった。


 朝日新聞の連載小説『春に散る』は、かつての『一瞬の夏』と響き合う作品でした。若きルポライターだった沢木さんは、老境の小説家としてボクシングを題材に選ぶ。ボクサー黒木翔吾はカシアス内藤に、老トレーナー広岡仁一はエディ・タウンゼントとダブッて見えます。ただ作品構造として『一瞬の夏』がカシアス内藤の挑戦の物語だったのに対し、『春が散る』は60代半ばのトレーナー、広岡仁一の死生観が主題となります。つまり、沢木さん自身が投影された主人公が設定されている。


 だから広岡仁一役の佐藤浩市に映画の成否がかかってくるんです。不公平な判定で輝かしいキャリアを失った元ボクサー、広岡は背中で物語を語る人物です。抑制的で、言葉数も少ない。偶然、同じように不公平な判定でキャリアを失いかけた黒木翔吾に出会い、もう一度、昔の仲間に声をかけてボクシングの世界に戻ることになる。


 いつしか失った夢、失った情熱を老境の男たちが取り戻していく。まぁ、それを「再チャレンジ」や「生きがい」という風にポジティブに言うのも可能です。あるいは、広岡は「燃え尽きる場所」「死に場所」を探していたと言い換えることもできる。



『春に散る』©2023映画『春に散る』製作委員会


 で、お待たせしました、役者・横浜流星の素晴らしさ。この人、本当に強いものを発してるんですよ。演技が上手いとか何とかそういう次元じゃないんです。ギラギラしている。脚本で「なぜ闘うか?」を説明セリフで言わせてるんですが、僕はそれが余計だと思った。横浜流星の発するエネルギーが十分説明してるからです。それがあるからこそ、広岡や老境のボクシング仲間たちがもう一度、夢を見る。


 まぁ大体、言葉で説明できることって小さいですよね。ボクサー黒木翔吾はあれだけギラギラしてたら、そりゃもう闘わなきゃおさまらない。それにつき合ってトレーナーを務める広岡だって、他に生きようがないんです。これは、そういう風にしか生きられない男たちのドラマですね。


 で、クライマックスのボクシングシーンです。横浜流星と窪田正孝、演者2人がガチのボクシングを見せる。これ鳥肌ですよ。吹き替えだとかカットだとか、そういう「映画のウソ」でごまかしてない。『ロッキー』のシリーズみたいに水しぶきで迫力を増してもいない。きしむ肉体だけがある。本当に圧巻です。


 申し訳ない。唯一、不満があるとすると相手ジム会長役の小澤征悦さんの芝居プランですね。窪田正孝の演じるチャンピオン中西利男がダウンを食らった場面で、「立て! 立て!」と叫びながら、両こぶしを固めてパンチを繰り出す芝居をする。僕は数えきれないくらい後楽園ホールでボクシングの取材をしましたが、「打て! 打て!」ならともかく、自分のジムのボクサーが倒されたとき、パンチ連打の仕草をする会長は見たことがない。「立て!」だったら身体をかがめて、たぶん手は緊張して首から下げたタオルを握りしめるとか、そんなでしょう。芝居とセリフが合ってないように感じました。まぁ、そこ唯一ですよ。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



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『春に散る』

8月25日公開 配給:ギャガ

©2023映画『春に散る』製作委員会

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