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『PERFECT DAYS』、分断された世界【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.43】

ⓒ 2023 MASTER MIND Ltd.

『PERFECT DAYS』、分断された世界【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.43】

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 ヴィム・ヴェンダースの映画は80年代、『パリ、テキサス』(84)、『ベルリン・天使の詩』(87)あたりがとにかく必修科目でした。東京でライターをやってたら(特に映画関係の仕事じゃなくても)絶対見とかなきゃならないような監督さんの一人でした。ジム・ジャームッシュや候孝賢もそうだったけど、新しい映像感覚が評判になっていた。まだシネコンの時代になる前のことです。若い観客は作家性の強い監督さんを好んでいた気がします。


 僕は「天使をやめて人間になりたい天使」が出てくる『ベルリン・天使の詩』がお気に入りでした。元天使の役で『刑事コロンボ』で売れたピーター・フォークが出て来るんですが、ベルリンのキンキンに冷えた大気のなかで手をこすり合わせて暖を取る喜びを語るシーンがある。それが「人間としての喜び」なんですよね。僕はその後の人生で、ピーター・フォークの教えを守って手をこすり合わせています。放射冷却のベルリンの冬にもこすり合わせたし、風の吹きつける新潟のサッカースタジアムでもこすり合わせた。映画が生活習慣化して僕の一部になっている感覚です。


 『PERFECT DAYS』(23)は(さすがというか)見事に作家性の強い作品でした。『ベルリン・天使の詩』にも通じるような映像詩が展開されます。但し、舞台はベルリンでなく東京であり、主演はブルーノ・ガンツでなく役所広司。そこが面白いです。見知っている東京の風景のなか、役所広司扮する「公園トイレ清掃員」が黙々と働いている。それがまた本当に「黙々と」なんですよ。役所広司はほとんどセリフを発さない。映画をご覧になってない方にどう言えば理解していただけるか考えたんですけど、『孤独のグルメ』の井之頭五郎(松重豊)からモノローグが消えたと思ってください。空腹を感じ、店を探し、趣きのある店を見つけ、躊躇しつつ喜び、注文を考え…、という一連のプロセスをモノローグなし、無言の芝居だけで見せる感じです。役所広司が視線を落とす、とか、一瞬、相手の顔を見返すみたいなことが意味を持ちます。


 だから、観客は一定の集中力、想像力を要求されますね。セリフじゃなく、芝居で見せる映画術。これ、僕は『鬼滅の刃』を見てからずっと考えてるんですけど、あのアニメ作品はすべてのことをセリフで言う作劇法ですよね。自分の来歴、戦いの必然、戦う意思、戦局の困難さ…、そういうすべてを戦闘シーン中、セリフとして語る。といってドラマが薄いわけじゃないんです。ただ説明セリフが多い。僕はちょっと苦手なんですよね。そんなに説明しないで、こっちにも想像させてくれと思っちゃう。でも、若い友人に聞くと抵抗ないみたいで、これは僕の頭が古いんだろうなぁと思ってきました。で、そういう意味では『PERFECT DAYS』は真逆なんですよ。説明なしで黙々と進む。徹底的に「見ての通りだから見て」というやり方。『鬼滅の刃』方式に慣れた目で見ると、何も起こらない、何もない映画に思えるんじゃないでしょうか。


 僕の確認した範囲ではその「何も起こらない、何もない映画」について、小津安二郎へのオマージュ的な解釈が主ですね。小津についてはヴィム・ヴェンダース監督自身がインタビューで言及されてて関連性は明らかです。で、どうなんでしょう、わりと「ていねいな暮らし」的な絵解きがされてますね。初老の「公園トイレ清掃員」のルーティンを淡々と描き、ささいな日常にひろがる豊かな世界、その喜びを描いた作品っていう風な。まぁ、確かに『PERFECT DAYS』はその名の通り、世界は美しい、人生は素晴らしいということも描いていると思います。だけど、僕はもうちょっと毒のある作品にも思えたんですよね。



『PERFECT DAYS』ⓒ 2023 MASTER MIND Ltd.


 役所広司演じるトイレ清掃員、平山は、『東京物語』(53)の平山周吉(笠智衆)をイメージした人物です。役名がそのままだからわかりやすいですね。で、もちろん『ベルリン・天使の詩』の天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)にも通じる存在です。


 僕はトイレ清掃員、平山が自足している「パーフェクトデイズ」ってそんなに喜びに満ちた世界なんだろうかと考えるのです。決して不幸せだとは思わない。カセットテープで音楽を聴き、日々働き、誰にも迷惑をかけずつましく暮らしていくルーティンは悪くない。彼は『ベルリン・天使の詩』の天使ダミエルのように、街の人々を見つめます。それも愛おしむように微笑みながら。断面を切り取れば世界は美しい、人生は素晴らしいと確かに見える。


 だけど、平山が諦念を抱いている。説明セリフのほとんどない本作のなかで唯一、「平山から見た世界」が言葉で語られるシーンがあります。缶コーヒーをやたらと飲むので、何か飲料メーカーのCMのようにも見えるんですけど、重要な言葉だと思います。


 「この世界は本当は沢山の世界がある。繋がっているように見えても繋がっていない世界がある」


 平山が自足している世界と、彼が「世界は美しい、人生は素晴らしい」と愛おしむように見つめる世界は繋がってるようで繋がっていないのです。分断されている。作中、平山は実の妹に「こんなところに住んでいる」「トイレの仕事をしている」という2点を冷ややかに問われます。彼は実在する生身の人間ですが、『ベルリン・天使の詩』の天使と同じ、人々から見えない人間なんですね。実の妹から見放された「埒外(らちがい)」の人間。


 トイレ清掃員さんや宅配便の人、その人が実体を持った人間ではなく「役割」だと思うほうが気安い感じの存在っていますね。それは単に「賤業」みたいなことを言ってるんじゃないんです。僕はたまたま入ったトイレに清掃員の女性がいたりして、「あ、すいません」「はい、大丈夫ですよ」なんてやりとりをして、掃除されてる横で用を足すことがありますけど、あれってリアルにその人が異性だという事実に直面したらとても用なんて足せない。そこにいるのは「役割」であって、実体を持った人間じゃないとスルーしてると思うんです。で、スルーされる側、コロナ禍で流通した横文字を用いると「エッセンシャルワーカー」ですかね、「役割」だけの存在は『ベルリン・天使の詩』の天使であり、尾道から東京見物に出て来た『東京物語』の周吉なんですね。閉じた世界の住人。


 ヴィム・ヴェンダースが感受し、描こうとした現代の東京はそういう街なんだと思います。渋谷区のハイテクトイレと下町のアパート暮らしの対比。いるんだけど、実体が消えてスルーされる人間。繋がってるようで繋がってない沢山の世界。小津映画の主題のように(繋がってない世界で)何かが滅びていってるんだと思います。 



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



『PERFECT DAYS』

 12月22日(金) よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー!

配給:ビターズ・エンド

ⓒ 2023 MASTER MIND Ltd.

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