効率至上主義の日本人ビジネスマンが、出張先のアメリカ・モンタナで人生を見つめ直す…。これまで何度も使われたプロットの普遍的な物語だが、この映画『東京カウボーイ』は驚くほどに面白い。映画で重要とされる“Arc(アーク)”と呼ばれる成長曲線を愚直なまでに丁寧に描いていることが、その勝因ではないだろうか。複雑に入り込んだストーリーや派手なアクションは皆無の映画だが、シンプルにストレートに心に突き刺さってくる。
そして、その“Arc”を絶妙なニュアンスで体現した井浦新なくしては、本作は決して成立しなかっただろう。舞台となるアメリカ・モンタナにも自然と溶け込み、ハリウッド俳優と並んでも遜色ないその佇まいを見ると、同じ日本人として嬉しくなってしまう。ハリウッドのプロデューサーの下、アメリカ人監督が手掛けるアメリカ映画に、井浦新はどのように挑んだのか。話を伺った。
『東京カウボーイ』あらすじ
アメリカ・モンタナ州、経営不振の牧場の再建。それを最重要案件として意気込み渡米した主人公のヒデキ(井浦新)は、いつものスーツ姿で壮大な計画をプレゼンするが、東京の常識は通じず、すぐに行き詰まってしまう。トラブル続きの最中、郷にいれば郷に従えとスーツを脱ぎカウボーイ姿に着替え、自然や動物とともに生きる人々と交流するうち、自身の効率一辺倒の働き方を見つめ直していく。
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芝居で芝居をそぎ落とす
Q:異なる環境に行った人間が成長していく話は、多くの映画で描かれてきた普遍的な物語です。演じる上での難しさなどはありましたか。
井浦:ありました。この映画では派手な出来事は一切起きません。馬から落ちるくらいはあったとしても(笑)、何か劇的なことが起こるわけではない。監督からは「演じるのではなく、この『東京カウボーイ』の世界の中で、ヒデキとして実際に存在してほしい。血肉のあるアラタの芝居が見たい」と言われました。撮影は約2年前で当時は47歳でしたが、それまでのキャリアで培ってきた芝居をもって、あえて芝居をそぎ落としていくような、役を超えて自分の内側を表すこと求められました。とはいえ、芝居をしないわけではないですし、ヒデキの心の変化をちゃんと表す必要がある。台本に描かれている文面を、人とのコミュニケーションとしてシンプルに表現し、観ている人の心にどう染み込ませていくか。そこが最大のやりがいでもありました。
また、実際にアメリカで撮影して思いましたが、モンタナの風景がとてもダイナミックなので、大きな出来事が起きなくても、そこに映っている景色だけでも間違いなく大きな力があった。それもこの映画の魅力だと思います。
『東京カウボーイ』
Q:こういう物語では、ヒデキは独善的で嫌なキャラクターに描かれがちですが、極めて普通で何なら一生懸命な男として存在します。それでも少しずつ、そして確実に変わっていく。そこがとてもリアリティがありました。ヒデキのキャラクターはどのようにして作られたのでしょうか。
井浦:実は今回、映画冒頭の日本パートは後で撮っているんです。モンタナで生まれたヒデキ像でラストシーンまでを先に撮ってから、日本に戻り変化する前のヒデキを撮影しました。だから逆算のような感じになっていたのですが、特に大変さなどはありませんでした。モンタナで生まれたヒデキという役は、モンタナに来る前はこんな温度感だったのかと、うまくバランスを作り込むことが出来た。モンタナで先に撮ったことがプラスに働いたと思います。