出会いがもたらす心の変化
Q:家族の物語であるとともに、主人公の大がアイデンティティを獲得していく青春物語でもあります。監督自身の思いなども反映されたのでしょうか。
呉:社会人になって色んな人と出会うことで、幼い頃にウジウジ考えていたことが、可愛いなと達観できるようになりました。大も東京に出て図らずも色んな人に出会っていく中で、自分を客観視できるようになっていく。そこは私自身の経験とリンクしたところでした。
私は昭和52年生まれで在日韓国人として育ちました。同世代の中には、在日であることを外では言わないと家族で取り決めている子もいましたが、うちは両親が隠すわけでもなくオープンでした。だから何か抵抗があったわけではないのですが、それでも日本人家族の家に行ったときは、家に飾ってあるものや食べものなど、今まで自分の家だけで成立していたものとは何か違うと気づいていくわけです。そして思春期も相まって、そのことが何かちょっと恥ずかしくなっていく。別に誰が悪いわけでもないので、親や祖父母に対してあからさまな反抗はしませんでしたが、友達に対して堂々とは言わなくなる瞬間がありました。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会
幼い頃は小さな町に住んで日本の学校に通っていたので、在日の友達はあまりいませんでしたが、大学生になると在日の友達も結構できるようになりました。大学では、色んな環境で育った人が全国から一気に集まってきて、共通点は皆映画好きということだけ。そこで出会った人の中には、びっくりするような環境で育っていたり、アーティスティックでぶっ飛んだ両親がいる方もいました。自分が特殊だと思っていたことさえ恥ずかしくなるぐらいの人たちがいっぱいいたんです。
その後東京に出て、在日含めた色んな友達に会ったときに、同じ感情を共有できることがありました。例えば、皆はお正月にお雑煮を食べるけど、自分の家ではトックを食べているということが、小さい頃は恥ずかしくて言えなかったと、そんなことを友達から言われて「あ、分かる!」となった。そんな“あるある話”を友達同士でやるようになったんです。そういった共感性で気持ちがどんどん楽になっていった。そういった心の変化が20代の頃にありました。
劇的な何かが起きなくても、日々生きている中でそういう感情が自分の中で細々と生まれていく。実家に帰ったときに、親が作る韓国料理が美味しいと思えたり、ホッとしたり。自分はさして不幸ではなかったんだと、そういうのは誰しもにある感情なんだと思えました。そんな経験から、普遍的な心の機微みたいなものが描けるのではないかと思ったんです。