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ティム・バートンとヒーローたちの『エド・ウッド』的友情【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.9】

ティム・バートンとヒーローたちの『エド・ウッド』的友情【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.9】

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ティム・バートンにとっての「ベラ・ルゴシ」、ヴィンセント・プライス





 ガフやリーに比べるとバートン作品への出演は少ないが、しかしこのひとを抜きには語れない。キャリアの初期からバートンの世界を支えた怪奇俳優、ヴィンセント・プライスである。


 『肉の蝋人形』や『ハエ男の恐怖』、エドガー・アラン・ポー作品の映画化シリーズでホラー映画における地位を築いたプライスは、クリストファー・リーやピーター・カッシングと並んで三大怪奇俳優のひとりに数えられる。これらの映画に馴染みがなくとも、マイケル・ジャクソンの「スリラー」でのナレーションは聞き覚えがあるひとも多いだろう。


 まだディズニーのアニメーターだった若きバートンは、ストップモーション・アニメによる処女作『ヴィンセント』のナレーションを、タイトル・ロールでもあるプライスに依頼した。この異様な人形アニメは、自分をヴィンセント・プライスだと思い込んだ少年の日常と妄想を描いており、これを見るだけでバートンの世界観がわかるプロフィール的作品だ。例によって『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』からバートン世界に触れた子どもの頃のぼくは、同じようなものを期待して『ヴィンセント』を観た結果、怖すぎて泣いた。


 その後、バートンの代表作にしてジョニー・デップの出世作でもある『シザーハンズ』で、プライスはデップ扮する人造人間エドワードをつくった発明家を演じた。この発明家が人間の手を着ける前に急死したため、エドワードは間に合わせのハサミの手のまま取り残されることになる。


 どこか影がありながら優しげな表情をしたこの老発明家は、わずかな出番ながら強烈な存在感を放っていた。ようやく完成した人間の手をエドワードに見せて優しく微笑んだと思ったら、その表情が少しずつこわばりはじめて、やがて凍りついたような表情となってその場に崩れ落ちるシーンは特に印象的。ものすごい表情の変化だ。


 この『シザーハンズ』での演技を最後に、1993年のハロウィーンを控えた10月25日、プライス自身もこの世を去る。バートンはエドワードと同様取り残されてしまい、プライスとともに進めていた彼のドキュメンタリー映画の計画も頓挫するのだった。バートンは発明家を亡くしたエドワードであり、ルゴシを失ったエド・ウッドでもあった。


 『エド・ウッド』の公開はプライスの死の翌年だが、バートンははっきりと、ウッドとルゴシの関係を自分とプライスの関係に置き換えて考えたと語っている。彼はずっと憧れていたプライスとの出会いを通じて大きな衝撃を覚えたが、きっとウッドもルゴシと会って同じ感覚を覚えたに違いないと。


 ナレーションやホストを別として、プライスがちゃんと出演したバートン作品は『シザーハンズ』だけとなったが、そこにはふたりの友情が凝縮されており、その関係はさらに『エド・ウッド』の根底にも影響を与えているのだ。ジョニー・デップが演じたふたりのエドワードを媒介として。


 紹介した三人に加え、『エド・ウッド』でルゴシを演じたマーティン・ランドーも、昨年の夏に逝去した。伝説は少しずついなくなっていく。自身のアイドルたち、ヒーローたちを自作品に起用し、ともに仕事することは創作者にとって幸福なことであり、夢そのものと言えるけれど、同時にそこにはある種の責任や、もしかすると別れの寂しさもあるのかもしれない。


 10月の影が近づいているこの季節、往年のホラー映画から伸びた線や、バートン作品同士を結ぶ線を辿ってみてはいかがだろうか。

 

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イラスト・文:川原瑞丸

1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。「SPUR」(集英社)で新作映画レビュー連載中。 

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