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『シンハードリ』、『RRR』はここに予言されていた!【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.89】
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やっぱり『RRR』(22)のヒットはインド映画好きのすそ野を広げたと思うんですよ。痛快無比、抱腹絶倒のアクションシーン、唐突に繰り広げられるダンスシーン、強引に辻褄を合わせ大団円まで突っ走るストーリー、不必要なまでにくどい演出、異様な数のエキストラetc、そのすべてが日本の観客のハートを掴みました。3時間超えの上映時間は『国宝』(25)、『宝島』(25)の先駆けでもあったと思います。昔は『人間の條件』(59〜61)の通し上映みたいのがあったけど、ここ数年、映画ファンのタイムラインにトイレの心配(「ボンタンアメがいいらしい」)が頻出したのは微笑ましかった。もちろん人気は衰え知らずで10/18夜、塚口サンサン劇場(尼崎市)では「マサラ上映」(観客参加型の応援上映)が企画されています。さすが「塚口ナートゥ」ですね。
で、『RRR』の閃光のような魅力によりインド映画に目覚めた方にぜひお知らせしたいのが、本作『シンハードリ』なんです。これはね、『RRR』のS・S・ラージャマウリ監督、『RRR』主演のNTR Jr.がタッグを組んだ2003年の旧作(もちろん日本初公開)なんですわ。冒頭、シンハードリの少年時代の短いプロローグが済むと、いきなり12年後はNTR Jr.のゴキゲンなアクションシーンです。もう、『RRR』に勝るとも劣らない、跳躍力、パンチ力、突進力、手加減のなさ。「ああ、『RRR』はここに予言されていた」と取ることも可能だし、この人たちはずーーーっとこれやってたんだなぁと感涙にむせぶことも可能です。
一応、ざっくりと物語のアウトラインを記すと、主人公のシンハードリは孤児なんですよね。ベンガル湾の台風のさなか、名家ヴァルマ家の夫妻と出会い、引き取られることになった彼は12年後、立派な青年に成長します。あんなにひょろひょろの痩せっぽちだったはずが、体躯はがっしり型、腕力・運動能力超人的、リズム感抜群、愛嬌があって口八丁手八丁という、まぁ、つまりNTR Jr.そのものに変貌している。だから、ヴァルマ家夫妻の愛情たっぷりに育ったんですね。まぁ、身分はこの時点では使用人なんだけど、遇され方は実子同然(後に養子となります)です。但し、このシンハードリ青年、誰にも言えない秘密を抱えている。この「秘密」に悪党がからんで、大事件に発展していきます。細かいことはここでは申せませんし、申し上げても辻褄が色々合わず何のこっちゃとお叱りを受けそうなので割愛しますが、破天荒かつ壮大、そしてハートフルな一代絵巻なんです。
『シンハードリ』©VEGA ENTERTAINMENT
物語を貫いているのは冒頭のプロローグで、ヴァルマ家当主(市長さん)が吐いた英雄的なセリフ、「数人でも救えるならば、殺されても構わない」です。その言葉はシンハードリ少年の心にずっと残る。災害の只中にあって、そう叫び、その通り実行したヴァルマ家当主を少年は尊敬する。この言葉、このロジックが物語を動かし続けます。僕は映画のドドスカバイーン、ドカドカボヨーンな魅力の一方で、この「数人でも救えるならば、殺されても構わない」のロジックに大変興味をひかれました。
大前提はパニック局面、災害などの極限状態です。そこで「数人でも救えるならば」を考えている。「殺されても構わない」は犠牲者の想定ですよね。「犠牲(この場合は自分)を出したとしても、複数の人を救いたい」という言い換えができると思うんです。で、これってマイケル・サンデルの『これから「正義」の話をしよう』(正確には『これから「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』、早川書房)じゃないですか。サンデル教授のハーバード大学の講義をもとに記された政治哲学の名著です。NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』と題して講義の模様が放映され、話題になりましたね。
サンデル教授は暴走する路面電車を例に挙げました。前方を見ると5人の作業員が線路上に立っている。ブレーキが利かない。このまま突っ込めば全員が死ぬことになる。ふと待機線を見るとそこにも作業員がいる。だが1人だけだ。路面電車を待機線に向ければ1人は死ぬが、5人は助けられる。さて、あなたはその1人を殺すべきか? 正義とは、社会的公正とはどういうことか?
『これから「正義」の話をしよう』の邦訳も、NHK『ハーバード白熱教室』も2010年なんですよ。2003年インド公開の『シンハードリ』、S・S・ラージャマウリ監督がハーバード大学でサンデル教授の聴講をしていたとは考えにくい。でも、それにしてはいいところを突いているんです。「数人でも救えるならば、殺されても構わない」は映画のクライマックスシーンで反転し、むちゃくちゃ意外な展開を見せます。で、意外な展開を見せた後、ちょっとこれどうなんだよー、と笑いたくなるようなご都合主義の大団円に結実するのです。
ま、ストーリーのことはいいでしょう。魅惑的なのはダンスシーンです。カストゥーリとインドゥという2人の娘の恋のさやあてが最高です。NTR Jr.のキレッキレのダンスを堪能したいなら映画館へ走るしかないでしょう。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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