ネズミたちを引き連れる吸血鬼
フィルムの破棄は徹底的ではなかったんだなこれが。吸血鬼が外国に渡ったり他人の家を訪ねるときのような、狡猾なやり方だったかどうかはわからないけれど、どこかの金庫にしまわれたままだったり、貿易業者の倉庫に残っていたりと、なんらかの形でイギリスやアメリカへと渡ってしまった。フィルムをおさめた缶はまるで吸血鬼を運んだ棺桶だ。『ノスフェラトゥ』では、船で町に運ばれた吸血鬼の周りにネズミがわらわらと沸き出す。町はペストを恐れて騒然とする。獣のようなノスフェラトゥ。それはコウモリや狼ではなく、害獣としてのネズミの姿だったのだ。疫病を暗喩する吸血鬼のように、そのフィルムは世界へと渡ってしまった。
フローレンスを見舞った災難は、出来たばかりの映画会社の著作権意識の低さだけでなく、権利関係のややこしさもあったと思う。小説の映画化権と、小説を原作とした舞台、の映画化権が別々だなんて思ってもみないだろう。『ノスフェラトゥ』のアメリカ行きは、やがてフローレンスのあずかり知らぬところでユニバーサル・スタジオによる「ドラキュラ」の映画化権取得にまで発展し、それまでに未亡人の承認を得て「ドラキュラ」を舞台化してきた興行師たちをも巻き込み、決戦を迎える。フローレンスは今度こそノスフェラトゥにとどめをさし、納得のいく金額を得て、ようやく「ドラキュラ」は正式に映画化される。これがトッド・ブラウニング監督、ベラ・ルゴシ主演の『魔人ドラキュラ』である。こうして経緯を見ると、海賊版だったはずの『ノスフェラトゥ』が、ユニバーサル・モンスターの名作にしてドラキュラ映画の代表作誕生に、多少なりとも影響を与えていることがわかる。やっぱり元祖であることには変わりないというわけだ。
フローレンスが夫の作品への権利を主張するのは当然のことだ。しかし、偽物だったノスフェラトゥが、本家ドラキュラやその後のドラキュラ映画とは全く異質で、今やもうひとつのオリジナルと化しているのも確かである。ましてや後続の映画化作品に影を落とし続けてもいる。フローレンスはドイツ製の偽物にとどめをさしたと信じたまま、1937年にその生涯を終えるが、結局ぼくたちは今日も『ノスフェラトゥ』を観ることができる。それは不思議で、恐ろしく、魅力的な映画だ。この吸血鬼が生きながらえたことを、ぼくはうれしく思うと同時に、フローレンスが晩年のほとんどを費やした闘いに、ついに勝てなかったことに切なさを感じたりもする。
映画の熱は一見病のように広まるし、ドラキュラや吸血鬼はいまだ映画において愛され続け、生き続けている。まさに不死身である。そうして、ノスフェラトゥも本物のドラキュラ同様、不死身だったのだ。狡猾に生き延びる吸血鬼と、高齢をものともせず闘い続けたフローレンス。その計り知れないパワーもまた、ドラキュラ伝説の一部と言えるだろう。
イラスト・文:川原瑞丸
1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。「SPUR」(集英社)で新作映画レビュー連載中。