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19歳の初監督作『あみこ』を提げベルリンから世界へ。山中瑶子監督の確信とは ~前編~【Director’s Interview Vol.10.1】

19歳の初監督作『あみこ』を提げベルリンから世界へ。山中瑶子監督の確信とは ~前編~【Director’s Interview Vol.10.1】

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これ、わたしでも撮れるのでは?



Q:母親への反抗心という話がありましたけれど、表現の手段は「映画」でなくてもよかったんでしょうか?


山中:たぶん高校に軽音部があれば、そっちに入ってたと思うんですよ。高校一年生の時にはバンドを組みたいっていう気持ちもあったので。環境ですよね。長野市には、二番館みたいなミニシアターとシネコンを含めて映画館が5つあったんです。あと近所にあるTSUTAYAもわりと品ぞろえがよかった。小中と娯楽を禁止されていた時でも本だけは読んでよかったので、TSUTAYAの本屋さんの方に連れて行ってもらうのが唯一の楽しみでした。ある時ビデオのコーナーもあるんだと思って行ってみたのがきっかけで、暇だったし旧作100円だし、じゃあ観てみるかっていうくらいの気持ちでした。


Q:軽音部に憧れていたということは、音楽はお好きだったんですか?


山中:音楽は好きなんですけど、どの曲がどのアルバムに入ってるみたいな話はできなくて、むしろバンドという形態や伝説が好き、みたいな。シド・ヴィシャスとか、ブライアン・ジョーンズとかが好きでした。


Q:シド・ヴィシャスやブライアン・ジョーンズのロック伝説なんて、そんな厳しい家で育った10代の女の子がどこで見つけてきたんですか?


山中:パソコンが家にあったので、インターネットじゃないですか? 親に隠れてよく使ってたんです。TSUTAYAの影響もあると思いますけど、CDは借りちゃいけなかったのでYoutubeとかで見てました。映像も見れるから、その過激さもわかったりして。


Q:そういう発見を共有するようなお友だちはいたんでしょうか?


山中:学校にはいなかったですね。特に共有したいとも思ってなかったです。あと、やっぱりインターネットが身近な世界だったので、高校生くらいになると友だち同士でTwitterとかをやっていて、たまに音楽のツイートとかすると、まったく知らない人とも交流があったりしたんです。今のTwitterとはまた違ったんですよ、わたしが高校生の時のTwitterって、もっと楽しい空間だった。そこで福岡に住んでる同い年の子と音楽を通じて仲良くなったりして、その子は『あみこ』にも出ています。




 『あみこ』でタロット占いをしてる子の役なんですけど、初めて直接会った次の日が撮影だったんです。受験の間はみんなTwitterとか休んでいて、たまたまInstagramかなんかで繋がって「久しぶり、何してるの?」「いま映画を撮ってて」「いつ撮るの」「〇日だよ」「あたしその日、東京いるよ」みたいなことに。だからタロットのくだりは最初脚本にはなかったんです。


Q:タロット占いのまみちゃんって、結構重要な役じゃないですか!?


山中:あれは当て書きしました。実際に会ったこともなくて、電話をして、特徴的な声だったので声はそのままで演じてもらいました。演じてあの声だったんじゃなくて、いつもああいう風に喋っている子なんです。


SNSでキャストを見つけたっていうことも含めて、そういうところはミレニアル世代っぽいかも知れない、とは思いつつ、でもわたしは最近のTwitterはあんまり好きじゃなくて。正直、辞めたい(笑)iPhoneも捨てたいくらいです。


Q:映画に本格的に目覚めるきっかけは高校の美術の先生が貸してくれたホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』ということですが、すぐ監督を志望するようになったんですか?


山中:そうですね。絵はやめてしまったけど、ものを作る仕事に就きたいというのは小学生の時からずっと思ってたんです。映画をちょっと見始めた最初の頃、まだ『ホーリー・マウンテン』以前に2000年初期の邦画をよく観ていて「これ、わたしでも撮れるのでは?」とふと思ったりしてました(笑)。


 たぶんその時点でATGを先に観ちゃってたら、自分で「撮れる」とは思わなかったと思うんです。「これ撮るの、今は無理でしょ」みたいなことに執着して、今の時代に生まれたことに早々に絶望していたかもしれない。何かと時代のせいにしがちだったので(笑)。あと単純に、映画監督ってやることがいっぱいあるじゃないですか。それが全部できたら“真っ当な人”になれるんじゃないかと思ったんです。


Q:自分が“真っ当”じゃないみたいな気持ちがあったんでしょうか?


山中:真っ当じゃない、というか、真っ当な大人になりたいという願望がありました。何かを成し遂げたいという大それた気持ちよりも。普通の人間社会で生きていると、生活に没入してしまいがちじゃないですか。その時は本当に子どもだったし、それを真っ当じゃないと思ってたんですよね。「人間らしさがない!そこに意思はあるの?」みたいな(笑)。大人は全員、何かを諦めて、しょうがなくそれをやってる人たちだと思っていたので、自分は「そうはなりたくない!」って。当時は周りの大人をそういう目で見てたんでしょうね。




Q:でも「映画を作りさえすれば!」と(笑)


山中:はい。だって、脚本も書いて、キャストも決めて、人間関係を築いて、撮影をして、編集をして、世に出すってすごくないですか? それこそバンドだと、歌詞書いて曲作ってとかありますけど、その場の気持ちで即興で出力できる場合もあるじゃないですか。映画はそうはいかなくて、長期スパンというか、かなり忍耐力を必要としているなと。今までなんだかんだぬるま湯に浸かってきたから「たいへんな目に遭わないと!」って思ってました。実際は、本当にやることが多くて頭おかしくなりそうですが(笑)



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