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19歳の初監督作『あみこ』を提げベルリンから世界へ。山中瑶子監督の確信とは ~前編~【Director’s Interview Vol.10.1】

19歳の初監督作『あみこ』を提げベルリンから世界へ。山中瑶子監督の確信とは ~前編~【Director’s Interview Vol.10.1】

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『ホーリー・マウンテン』とグリーナウェイが進路を決めた



Q:映画を作る側の目線や、製作のプロセスを意識するようになったきっかけはありますか?


山中:それこそ『ホーリー・マウンテン』の一番最後に撮影クルーが出てくるところ、あれじゃないですかね。『ホーリー・マウンテン』を観る以前のままだったら、きっと映像系の大学も受けつつ周りの大人が安心する一般私大をメインに受けたと思うんですけど、『ホーリー・マウンテン』とピーター・グリーナウェイがあったせいで「映画って、何かがヤバいぞ」となり。こんな訳のわからないものを作ろうとする人間たちが大勢いることに興味関心が湧いたんです。でもだからと言って、高校の時に何か撮ろうとはまったく思わなかった。単純にめんどくさがりなところがあって、人間関係を築くのも億劫だし、その環境を得るために映画の大学に行こうっていうのはありましたね。


Q:でも日本大学芸術学部に入学したものの、半年も経たずに行かなくなるわけですよね。


山中:もう入学してゴールデンウィークに帰省した時には、母親に「ホント、辞めたいわ」って言ってました。


Q:それは五月病ではないんですか?(笑)


山中:五月病もあったと思います(笑)。でも帰省するたびに、いかに大学がつまらないかをロジカルに喋るんですよ。だから大学に行かなくなっても、母親ももうビックリしなくなってましたね。今はかなり理解してくれています。


Q:大学の何に一番幻滅したんでしょう?


山中:授業の進歩がとにかく遅くて、学費も高いし割に合わないと思ったんです。あと1、2年生は所沢にある校舎で、最寄り駅から学校のバスに15分くらい乗らないといけないくらい辺鄙なところにあった。そのバスに乗るのが一番苦痛だったかも知れないです。もう大学生だし、友だちと待ち合わせて乗ったりはしないんですよ。で、一人で乗ってると、映画学科に限ってではないんですけど、周りの学生たちには喋り相手がいて、すごくどうでもいい話をしている。どうでもよすぎて、高校ですらこんなレベルじゃなかったぞ、みたいな会話を朝から聞くのが本当に辛くて。


Q:でも映画学科に行けば、映画好きの友だちができると思っていたわけですよね。


山中:そうです。でも不思議な大学でしたね。本当に映画が好きな人たちは、全員落とされてるんじゃないかと思うくらい映画をみんな観ていない。とにかく映画を幅広く観るっていうか、本気で映画を撮りたいっていう気概のある子が当時周りにはいなかった。映画を撮りたいんだったら、実際に撮るか、映画をたくさん観るかするものだと思っていたので。撮るわけでもなければ、観るわけでもない。もしかしたら本当に映画好きな人もいたけれど、ただわたしとは話したくなかっただけかもしれないですが(笑)。


Q:その後の一年間、アルバイトをしたり、突然夜中に10キロ歩いたりみたいな潜伏期が続くわけですが、こんな映画を作りたいみたいな構想はずっとあったんでしょうか?


山中:それはむしろ全然考えないようにしていました。映画を作りたい、作らなきゃっていう気持ちはあるんですけど、ちょっと思い浮かんだものが「これ観たことあるわ、よくあるわ」みたいなものばっかりで。それが嫌で、掘り下げていったら自分の底の浅さに出会うんじゃないか、みたいな。

 

 わかりやすく言うなら、その一年間はインプットの時期だったと思うんです。良いものに触れようじゃないかと、映画をいっぱい観たり、本を読んだりしてました。そうやって一年間好き勝手に過ごしてみたら、もうそろそろ書いてみても大丈夫なんじゃないかなと思えるようになったんです。


Q:とはいえ、そういうことを言い続けたまま30歳になり、40歳になりっていう人たちも、わりと大勢いるんじゃないかと思うんですよ。


山中:そうですよね。大学は嫌だったんですけど、仲がいい友だちも何人かできたので、その子たちとは行かなくなってからも結構遊んでもらってたんです。それで「もう戻ってこないでしょ」と言われて、「戻らないけど、でもこうやってずっと学校に対して不満があって、でも何も撮ってない人っていっぱいいるだろうから、それになったらまずいよね」というような会話をしていたんですよね。




Q:そして『あみこ』を19歳で撮られたわけですが、劇場でのティーチインで「あみこ」の名前は今村夏子さんの小説「こちらあみ子」から取ったと仰っていましたね。「こちらあみ子」の主人公と映画のあみこは全然違いますが、男の子に寄せる一方的な想いであるとか、家族や周囲とはわかりえないものであるという哲学とか、名前だけでなく多くの共通項を感じました。


山中:それはやっぱり、わたしが惹かれるものってことですよね。そういうものに惹かれるんだと思います。


Q:では映画『あみこ』の物語や「あみこ」というキャラクターは、どこから生まれてきたんでしょうか?


山中:あみこは自分の中にもいるし、むしろ登場人物全員いますね。瑞樹先輩もいるしアオミくんもいる。だから自分の中にある、あみこの要素を主人公にしたということであって、具体的に同じ経験があるとか、自伝的っていうのではないと思います。でも(あみこが)東京に出てきてから徘徊するシーンとかは、結構自分の願望だったりしますね。池袋という街がすごく面白いと思っていて、叫んでいる男とかもよくいるんですが、彼らにシンパシーを感じる(笑)。そうやって見たものを映画に取り入れたりもしてます。


後編に続く


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監督:山中瑶子 Yoko Yamanaka

1997年生まれ、長野県出身。初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017で観客賞を受賞。20歳でベルリン国際映画祭に招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。同作でポレポレ東中野の一週間レイトショー動員記録を大幅に塗り替える。新作は山戸結希プロデュースのオムニバス映画『21世紀の女の子』(2019年2月公開予定)。



取材・文:村山章

1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。




(c)Yoko Yamanaka

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