相米慎二が求めたもの
Q:当時の再現やバリエーションの多さを考えるとかなり大変な現場だったと思いますが、“もの作り”という意味では、面白かった部分も多かったのではないでしょうか。
小川:多くの作品はメインのテーマがあって、それに衣装が付随することが多いですが、今回は着ている服に言及するシーンもあり、自然と衣装に目が行く場面が多かった。その意味でも衣装から考える部分は大きかったですね。そんなことは普段滅多にないですから、とても面白かったです。
Q:本作は、実際の出来事に着想を得た物語で社会問題を扱っていますが、衣装デザインを行う際に留意したことはありましたか。
小川:デザインや形も大事ですが、どういうムードの映画にするかに気をつけています。ちょっと童話っぽくしてみようとか、わざとダークトーンでいってみようとか、そういう映画全体のトーンを意識していますね。ほとんどの場合はカラーパレットを作り、「こういう色の中でやろう」と決めた上で、そこから外れない範囲で衣装を探します。世界観というほど大袈裟ではありませんが、話のムードに合わせて絵を描く感覚です。それを最初に考えています。
Q:社会問題が軸にある物語ですが、働く人の物語だったりもする。そこも面白かったです。
小川:当時はお見合いして結婚しちゃう女性が多くて。大学に行っても就職せずに結婚する人も多かった。映画に出てくるような、出版社で働く女性はかなり少なかったと思います。私も当時は雑誌の仕事をしていたので、そのときの編集者は今でも友達です。

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Q:雑誌や広告のお仕事から、何がきっかけで映画の世界に進まれたのでしょうか。
小川:角川書店の「バラエティ」という雑誌に、薬師丸ひろ子さんがよく掲載されていました。私はそのスタイリングを全部やっていて、その流れで薬師丸さんの写真集も担当したんです。薬師丸さんはモデルではないし、当時はまだ15歳くらい。彼女をどう魅力的に見せるかを大事にしてスタイリングしていました。それを見た相米慎二監督が、『セーラー服と機関銃』(81)で声をかけてくださったんです。
その頃は、衣装部屋にあるものを演者に着せるだけのことが多くて、今みたいに衣装デザインするようなシステムはなかったんです。当時は服をリースして持ってくるだけの仕事があって、エキストラが多い現場などでは、その人たちがいろんな洋服屋さんをまわってたくさん衣装を借りてくる。それを現場にドサっと持ってきて、そこにある服から衣装部のおじさんたちが着せていくような流れでした。
相米さんは衣装にもこだわりたかったんでしょうね。それで、薬師丸さんの写真集を見て私に声をかけたのかなと。『セーラー服と機関銃』にはヤクザが出てくるのですが、今までのやり方だったら「ザ・ヤクザ」みたいな格好になってしまう。でも私は、ツナギを着せてみたり、カンカン帽をかぶせてみたり、ハイカットのコンバースを履かせたり、そのときの流行りを着たヤンチャな子って感じで衣装を作っていきました。そういうやり方はそれまでは無かったんです。
Q:当時は撮影所システムがまだギリギリ残っているころですよね。
小川:そうなんです。当時は怖くてねぇ(笑)。私は一升瓶を持って「よろしくお願いします」って挨拶に行きましたから(笑)。今じゃ考えられないですよね。私が映画の仕事を始めてからも、その後10年くらいはスタイリストってまだほとんどいませんでした。そこから、若いスタイリストがどんどん入ってきて、だいぶ印象が変わるようになりましたね。