旧東ドイツの巨大スーパー。閉店後の店内で作業するフォークリフトが愛らしく美しい。そこで働く人々の、緩やかで温かいつながりを優しく見つめた『希望の灯り』。本作を手がけたのは旧東ドイツ生まれ、現在38歳のトーマス・ステューバー監督だ。主な舞台がスーパーの通路という限定的な空間ながら、小さくも幸せな物語を見事につむぎ出した監督に話を聞いた。
Index
原作のマジカルな雰囲気を映画化したかった
Q:本作は原作小説が元となっていますが、どこに惹かれて映画化しようと思ったのでしょうか。
トーマス:原作は非常に短くて30ページほどのものでした。自分の作った映画の尺を鑑みると、改めてこんな短かったのかと思ったりもしますが、最初に読んだときは何か心をつかまれるものがありました。この短編の独特の雰囲気がとても好きで、特にスーパーの通路に起きているマジカルな雰囲気を感じ、それを映画化したかったんです。
もともと作者のクレメンス・マイヤーの筆致がすごく映画的でもあったのですが、ただやはり、映画にするためには原作の短編からは増やす必要がありました。でも余計なセリフや説明は増やしたくない。そういうこともあって、今回は原作の雰囲気を映画化していくということに、かなり注力しました。
Q:「スーパーの通路の雰囲気」という話が出ましたが、本作を見て場所というものがとても大事だと感じました。監督は普段生きている中で、都市や町、自然の中、建物の中など、「場」というものを意識していますか。
トーマス:僕は映画を作るときにまず考えるのが「場」なんです。キャラクターがいて、ストーリーの舞台となるのはどんな場所なのかと、それを考える作業をしていくんです。おっしゃるとおり、「場」はとても意識していますね。
前作の『ヘビー級の心』(15)という作品も、主人公が住んでいるところから考えていきました。僕が描く登場人物たちが、住居をどういうふうに内装するんだろうとか、そういう細かいことまで想像していったんです。他には「職場」というものにもすごく関心がありますね。本作の後に『Kruso』(18)という作品を撮っているのですが、このお話ではバルト海の孤島にあるレストランの厨房が出てきてます。そこでも本作と同じように「職場」が舞台になっているんです。
人がそこにいる「箱」という意味で、建築にもとても興味があります。人がいる場、何か人について教えてくれる場を、いかにカメラが捉えられるかどうかを考えているので、「場」というのは自分にとってすごく重要なポイントなんです。
ちなみにフランス語では、「演出」のことを「ミザンセーヌ」というのですが、「その場にいる人物」という意味でもあるんです。これもまさに「場」を描くということですよね。