オリジナル版『十三人の刺客』は“戦争映画”である
オリジナル版『十三人の刺客』の斬新さであり、リメイク版でも重要な要素になっているのが「弘化元年」という絶妙な時代設定。弘化元年は西暦1845年(1844年という数え方もあるが)にあたり、265年も続いた江戸時代も末期の頃。戦国時代が終わってから250年の歳月が流れており、いくら武士と言えど刀を振るって命のやり取りをした者は皆無に等しい時代だった。
この設定はオリジナルの1960年代より、リメイクが作られた2010年や現代の方がリアルに感じられるかも知れない。日本は戦後72年、戦争で戦った世代の大半は亡くなっているか相当な高齢になっている。一度も殺し合いをしたことがない侍たちが大義のために真剣を振るう『十三人の刺客』の世界は、現代に生きるわれわれが突然戦地に赴く状態と変わらない。
オリジナル版の工藤栄一監督は昭和4年生まれ。太平洋戦争が終わった昭和20年はまだ16歳だったが、脚本を書いた池上金男は激戦地のペリリュー島で戦った帰還兵。ペリリュー戦では日本軍はほぼ全滅に近い被害を出したので、池上の生還は「九死に一生を得る」なんてレベルではない。
『十三人の刺客』の物語は極悪なお殿様を成敗する勧善懲悪が骨子になっている。だが池上金男にとっては、“大義のための戦い”も所詮は“殺戮”に過ぎなかったのではないか。オリジナル版で凄まじいのは、島田新左衛門が最も信頼を置く剣客・平山九十郎(西村晃)の死に様。九十郎は剣の道を究め、刺客の中でも戦闘力がずば抜けている。ところが乱戦の中で刀を失った瞬間に達人の余裕は消え失せ、なりふり構わず逃げ回って無様に斬り殺されるのだ。剣豪も刀を失えばただの人、という強烈な皮肉が効いたショッキングな一幕だ。
さらにオリジナル版のラストも凄い。最後に映し出されるのは主人公の刺客たちではなく、完全に雑魚キャラだった明石藩の藩士。激戦の宿場町を泥だらけになって逃げ出し、自分が唯一の生き残りだと気づいて安堵のあまり狂ったように笑い出す。そこには“武士の誇り”もなければ“大義”も“忠義”もない。あれはペリリューで死体の山が築かれる中で奇跡的に生き残った池上金男自身の姿だったのではかろうか。