『南瓜とマヨネーズ』あらすじ
ライブハウスで働くツチダは同棲中の恋人せいいちがミュージシャンになる夢を叶えるため、内緒でキャバクラで働きながら生活を支えていた。一方で、自分が抜けたバンドがレコード会社と契約し、代わりにグラビアアイドルをボーカルに迎えたことに複雑な思いを抱え、スランプに陥っていたせいいちは、仕事もせず毎日ダラダラとした日々を過ごす。そんなとき、ツチダはお店に来た客、安原からもっと稼げる仕事があると愛人契約をもちかけられる。ある晩、隠していた愛人からのお金が見つかってしまい、ツチダがその男と体の関係をもっていることを知ったせいいちは働きに出るようになる。そして、ツチダが以前のようにライブハウスだけで働きはじめた矢先、今でも忘れられない過去の恋人ハギオ(オダギリジョー)が目の前に現れる。蓋をしていた当時の思いが蘇り、過去にしがみつくようにハギオとの関係にのめり込んでいく。
Index
寡作の天才漫画家、魚喃キリコとは?
『南瓜とマヨネーズ』は、バンドから脱退し、今は部屋でくすぶるミュージシャンのせいいちと、せいいちが新たな曲を作りさえすれば、また彼が輝けると痛々しいほど信じて、もがく恋人、ツチダの日々を描いたものだ。レディースコミックの領域にある作品で、1999年11月25日に発行された。当時はやまだないと、南Q太、桜沢エリカ、安野モヨコ、ジョージ朝倉たちの漫画家たちが20代の女性の赤裸々なセックスや心情やその生態を隠すことなく漫画に描き、新たな潮流を作っていた。顔出しを嫌った上の世代の少女漫画家たちと違い、彼女たちの中の何人かは積極的にメディアに登場し、自作のみならずカルチャーやファッションを語り、多角的な発信者として活動していた。作品が映画化されるものも多く、例えばやまだないとは脚本家としてテレビドラマ「私立探偵浜マイク」の10話に参加している。
魚喃キリコは『南瓜とマヨネーズ』にあるようにミュージシャンの友人が多く、本人もバンド活動に参加するなど音楽に近い場所に居た経験を、物語に反映している。寡作な作家で、自分の実体験を煮詰めて、あるシチュエーションでの心象風景を最も印象的に切り取る作家である。日常の中でふと訪れる「最も切ない瞬間」「最も吐きそうになる瞬間」「最も相手を欲した瞬間」、そういう様々な心を動く瞬間を結晶化し、シンプルな線で書き下ろす。どこか浮世絵師の描く肉筆画を見るような心もちにされる作家だ。30代半ばから長編を発表していないが、精魂込めたストイックな線を見ていると、それも止む無しと思わされる。(2014年に発表された、パスピエのボーカル、大胡田なつきの指名による対談では、魚喃は「マンガ家であることを辞めた、表現者であることを辞めたわけじゃなくて、今は自分が生きていていろんなことを経験している中で、人間としての経験値を上げて、ネタを溜めている時期です。なので、また、何か形になったら発表するつもりで、今も少しずつやってる感じですね」と語っている。
『南瓜とマヨネーズ』(C) 魚喃キリコ/祥伝社・2017『南瓜とマヨネーズ』製作委員会
ちなみに魚喃の作品は個性の強い作家に愛され、2002年には安藤尋によって『blue』が映画化され、2006年には矢崎仁司が魚喃の『strawberry shortcakes』を『ストロベリーショートケイクス』として映画化。『ストロベリーショートケイクス』には摂食障害を持つ売れっ子イラストレーターとその女友達のエピソードが出てくるが、そのイラストレーターを彼女自身が岩瀬塔子の名で表現している。華奢な肉体からいろんなものを吐しゃしては作品を生み出す、その凄まじさと痛ましさ、そしてある種のふてぶてしさを彼女でしか出せない色で出している。また、2005年に小栗康平が発表した『埋もれ木』では魚喃の書いた漫画の一ページから物語が始まり、その後、3人の女子高生が作り出す物語へとつながっていく。
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