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太賀、オダギリジョー、冨永昌敬、『南瓜とマヨネーズ』を実写化した、3人の男たちの曲者ぶりとは

(C) 魚喃キリコ/祥伝社・2017『南瓜とマヨネーズ』製作委員会

太賀、オダギリジョー、冨永昌敬、『南瓜とマヨネーズ』を実写化した、3人の男たちの曲者ぶりとは

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執着と依存を描き続ける冨永作品とは?



 冨永監督は劇映画からドキュメンタリーまで様々なジャンルの映画を撮り続けているが、彼が惹かれるのか、描く人間関係にはつねに依存と執着の問題が登場する。


 デビュー作『 パビリオン山椒魚』では、本物か作り物か、かつてパリ万博に出品された伝説の動物国宝のオオサンショウウオの“キンジロー”を管理することで、さまざまな利権を得てきた二宮家一族を軸に物語が始まる。つまりはキンジローに呪縛された二宮家の人々のキンジローからの脱却の物語である。それは『南瓜とマヨネーズ』のツチダが、せいいちのバンドマンとしての夢の成功に固執し彼が曲を生み出すことに人生をかけている、依存から別離の話にもつながる。



『南瓜とマヨネーズ』(C) 魚喃キリコ/祥伝社・2017『南瓜とマヨネーズ』製作委員会


 これが男を主役にした場合、執着は時に偏執な愛の様相を見せる。 本谷有希子が2005年に発表した戯曲を映画化した『 乱暴と待機』では、他人なのに「兄妹」と偽り、「監禁」という形で部屋に縛り付け、互いの存在をのぞく、のぞかれるという共依存の形で維持してきたカップルの話であるが、隣家に越してきたカップルの介入で、その関係が一気に崩れていく。また、太宰治の同名小説の映画化『 パンドラの匣』では結核療養所という場所に押し留められている者たちの心の飛翔を描いて見せ、そして『 ローリング』では地方都市でくすぶりながら、高校時代のねじれた感情を大人になってさらにこじらせる元教師と教え子のただれた関係性をじっとりと抽出させる。


 人は皆、生きていく中で、他人が見たら「なぜ、そこにこだわる?」と不思議でならないものにどこか固執し、執着してしまうものだが、その深度が冨永作品では実にディープ。だからこそ、その執着から解き放たれた瞬間の快感は大きい。『南瓜とマヨネーズ』では、ラストきちんと、ツチダの漂う心は浄化される。それはせいいちの生み出す音楽の力が大きい。こんな素直で優しい浄化の演出は冨永作品では初めてだったから、冨永監督に大きな変化が訪れたのかと思ったら、どうやらそうでもないらしい。来年公開の新作『 素敵なダイナマイトスキャンダル』では世を儚んで、ダイナマイト心中をした母の記憶を背負いながら、エロ雑誌で一時代を築いた名物編集者、 末井昭の半生をケレン味たっぷり演出している。そう簡単にさわやか路線などに行かない冨永監督の武骨さにときめいてしまうのである。



文: 金原由佳(きんばら・ゆか)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」「装苑」「ケトル」「母の友」など多くの媒体で執筆中。著書に映画における少女性と暴力性について考察した『ブロークン・ガール』(フィルムアート社)がある。『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)、『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)などにも寄稿。ロングインタビュー・構成を担当した『アクターズ・ファイル 妻夫木聡』、『アクターズ・ファイル永瀬正敏』(共にキネマ旬報社)、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワネットワーク)などがある。



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作品情報を見る


『南瓜とマヨネーズ』

配給:S・D・P 

(C) 魚喃キリコ/祥伝社・2017『南瓜とマヨネーズ』製作委員会

原作:魚喃キリコ『南瓜とマヨネーズ』(祥伝社フィールコミックス)


※2017年11月記事掲載時の情報です。

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