世の中の虚構性や不安感を創り出すダッチ・アングルとは?
スパイ・サスペンスに転じた本作でもう一つ注目したいことがある。それが撮影におけるカメラの角度だ。
実は『フェイ・グリム』ではほとんど全てのシーンがカメラを傾けて撮影されている。ファーストカットにおけるフェイの登場部分からしてすでに彼女の姿は斜めに映し出されているし、他にも全ての被写体はスクリーン上で垂直に伸びることはない。これを専門用語では「Dutch Angle(ダッチ・アングル)」というのだが、このDutchは今でこそ「オランダ人(の)」という意味合いで用いられるものの、古くは「ドイツ人の」という意味だった。そしてこの「あえてカメラを斜めにして撮影する方法」は、いわゆるドイツ表現主義の時代に端を発するものだそうだ。
『フェイ・グリム』 (C)Possible Films, LLC.
その後、ダッチ・アングルはドイツのみならず世界へと拡がっていくことになるのだが、例えば映画史においてはキャロル・リード監督による『 第三の男』でもこの手法が多用されているし、同じオーソン・ウェルズがらみの傑作『 市民ケーン』も同手法を取り入れた作品として引き合いに出されることが多い。
いずれもカメラをヒョイと傾けるだけで見慣れた俳優の顔は違った印象となり、まるでその人の内側さえも投影しているかのような不安な状態を創り出すことができる。あるいは傾いているのは被写体を取り巻く世界そのもの、という捉え方も可能かもしれない。フェイもまた、夫ヘンリーや「告白」をめぐって世界の何もかもが信じられない状態となっているわけで、まさにこの方法は打ってつけと言えるだろう。
何も知らずに本作に臨むと、この傾きに気づかない人も多いはず。また、知っていて臨んだとしても、最初の方は意識的に居心地の悪さや平衡感覚の歪みを実感するかもしれないが、それに慣れるといつしか何も感じなくなっている自分に気づくはず。いったん世界の異様な状況に足を突っ込み、それに慣れてしまうと、泥沼の中でそれを異様だと気付くことさえ困難となる。ハートリーが織り込んだこの手法は、現代社会を生きる我々の心にも、様々なレベルで何か鋭いものを突きつけてくるかのようだ。
ちなみにハートリー監督は、『フェイ・グリム』を製作した時期にベルリンに拠点を移して生活していたのだとか。もしかするとドイツ生まれのこの手法を、アメリカを経由してまた再びこのドイツの地に逆輸入することにも、ハートリーなりのこだわりがあったのかもしれない。
『フェイ・グリム』 (C)Possible Films, LLC.
ヒューマンドラマからサスペンスへの移行は単なる思いつきやジョークなどではない。仕掛けや撮影方法にもハートリー流の趣向がぎっしりと詰まっているのだ。それらの息遣いを感じながらこの不可思議なストーリー、そして夫婦の愛の物語を心ゆくまで堪能して欲しい。そしてせっかくここまで来たのなら、是非とも3作目にして最終章となる次作『ネッド・ライフル』まで、彼らの運命に寄り添い、しかと見届けて頂きたい。
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
「ヘンリー・フール・トリロジー」
5月26日(土)アップリンク渋谷にて二週間限定上映
※同特集にて『トラスト・ミー』(1990)も特別上映
配給:Possible Films
公式サイト: http://halhartley.com
(C)Possible Films, LLC.