2024.08.14
幼児のような愛
「“B. R.ディグナン“って書いてあるだろ?『アンソニーのハッピー・モーテル』のことだよ。オーウェン・ウィルソンが演じているキャラクターだ。ちょうど『アンソニーのハッピー・モーテル』を見て、彼のことを現代の新しい哲学者だと思った。だからその引用を作ってみたんだ。ウェス・アンダーソンにはカンヌの上映の前に伝えてある」(ショーン・ペン)*
ニック・カサヴェテスが脚本に感じた“ストーリーの正しくなさ”は、冒頭の引用句から既に炸裂している。「愛は寛容ではない類まれなる優しさ B.R.Dignin 1892」という発表年入りの引用はまったくの捏造なのだという。『アンソニーのハッピー・モーテル』(96)の主人公ディグナンによる行き当たりばったりの強盗計画と『シーズ・ソー・ラヴリー』の無軌道な恋人たちの間に、まさかのつながりがあったとは!言われてみれば、エディとモーリーンの選択は行き当たりばったりでめちゃくちゃだ。
『シーズ・ソー・ラヴリー』(c)Photofest / Getty Images
二人の若い頃を描く本作の前半は、多くの時間で土砂降りの雨が降り続く。ネオンの灯りが濡れた舗道に滲んでいる。この雨はドラマチックに何かを洗い流すようなことはせず、ただただ二人の足元の身動きを制限している。二人は大雨の中、金も持たずに夜の町へ飛び出す。すべての行動が行き当たりばったりだ。しかし視界の悪い冒険の夜にもロマンチックな瞬間は訪れる。ダンスホールで踊る二人のシーンは格別だ。お互いの顔に噛みつくようなユーモラスなキスが狂おしい。
モーリーンが顔に傷を負っていることへの疑念が大きくなったエディは、やがて自分を制御できなくなる。傷の本当の原因をエディが知ったら、間違いなく殺人を犯すだろうことをモーリーンは知っている。そして事件は起こり、エディは矯正施設に収容される。三か月後にここを出られるというモーリーンの言葉をエディは信じている。10年のときを経て施設を出たエディが、まだ三か月しか経っていないと主張するのは、モーリーンの言葉を迷うことなく信じているからだ。つまるところ二人の行動原理には、幼児的なまでに愛という言葉以外何もない。狂気的。だが、とてもシンプルだ。