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  4. 『タリーと私の秘密の時間』『JUNO ジュノ』のオスカー脚本家が女性映画をアップデート※注!ネタバレ含みます。
『タリーと私の秘密の時間』『JUNO ジュノ』のオスカー脚本家が女性映画をアップデート※注!ネタバレ含みます。

『タリーと私の秘密の時間』『JUNO ジュノ』のオスカー脚本家が女性映画をアップデート※注!ネタバレ含みます。

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「あの仕掛け」を女性映画に持ち込む離れ技



 ここからストーリーの核心部分に触れることをご容赦願いたい。


 タリーのキャラクターには謎めいた部分がある。日中は何をしているのか明かさない。朝、マーロが目覚める前にいなくなっている。上の子供2人には姿を見せない。


 ところどころ、観客に違和感を抱かせるシーンが出てくる。マーロから借りたウエイトレスの制服を着込んだタリーは、一緒に夫婦の寝室へ行き、妻の前でクレイグを誘惑する。マーロは話した覚えがないのに、彼女の一番好きな曲をタリーは知っている。


 コーディは自身も3人の子供を出産しており、その際に夜間のベビーシッターを雇ったことが、本作の出発点になった。そこからアイデアを膨らませ、ライトマン監督にこう売り込んだという。「人生で本当に困難なとき、若い頃の自分が救いに来てくれたら?」




 終盤、驚くべき真実が観客に明かされる。産後鬱を患い、心身ともに追い詰められたマーロは、若い頃の自分=タリーが助けてくれる幻覚を見ていた。タリーは実在せず、マーロの目にしか見えていなかったのだ。


 ネタバレ必至ではあるが、本作の仕掛けを端的に示す表現として、「主婦版『ファイト・クラブ』」とか、「ママ版『ファイト・クラブ』」とも呼ばれているようだ。チャック・パラニューク原作、デヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』(1999)も、主人公がオルターエゴ(もう一つの自我)と対面し、会話したり殴り合ったりした。


 主人公(または主人公以外の重要人物)が見ている「実在しないキャラクターを含む世界」を、「現実」であるかのように観客をミスリードするストーリーテリングと演出術は、『ファイト・クラブ』のほかにも、M・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』(1999)、ジェームズ・マンゴールド監督『アイデンティティー』(2003)などで使われている。この手法の源流をたどれば、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(1960)が起点ということになろうか。




 ただし、こうした手法はこれまで、もっぱらホラーやサスペンスのジャンルで使われていた(2001年のロン・ハワード監督作『ビューティフル・マインド』のような例外もあるが)。強烈なインパクトを与えるこのギミックを、エモーショナルで心温まる女性映画に持ち込んだ点が、脚本家コーディの創意工夫の表れであり、ジャンルを更新する試みでもある。



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