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『青空娘』若尾文子が体現するスピードと反転の跳躍力

©KADOKAWA1957

『青空娘』若尾文子が体現するスピードと反転の跳躍力

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有子の青空



 増村保造は鮮烈な長編デビュー作『くちづけ』(57)で、バイクや水泳、ローラースケート等、いわばアトラクションに次ぐアトラクションのスピード狂的な映画を撮り、そのスピード感を第2作『青空娘』の若尾文子の若さやフレームに飛び込んでくる人や物に転嫁させ、第3作『暖流』(57)の石渡ぎん(左幸子)の狂気的な身体へと受け継がせていったように思える。増村保造はクローズアップを嫌っていたことで知られているが、クローズアップを使わずに感情をクローズアップさせていた。


 女性を主役にすることが多いのは、女性を表現するためではないと増村保造は語っている。人間を描くには女性の方が適していると。増村保造が描く女性は、男性作家が夢想するファム・ファタール性とは一線を画しているように思える。では増村保造の映画において人間とは何か?それはどんな環境においても左右されない、強く激しい個の情念のことだろう。『青空娘』にはその萌芽がある。大切な母親の写真を盗まれ、ひどい目に合った有子は、姉の照子に怒りを見せる。“決闘のカメラワーク”。あるいは“睨みのカメラワーク”。有子の怒りの背中を回りこむようなカメラワークにより、すべての空気が瞬時に変わっていく。


 父親の栄一は間違いなく有子のことを愛している。娘の有子のことが可愛くて可愛くて仕方がない様が、紳士の崩れてしまう笑顔から、これでもかとばかりに伝わってくる。父と娘が腕を組んで銀座をデートするシーンは、極めてスウィートな名シーンだ。栄一が人生で一番好きだったのは有子の母親であり、栄一は有子との銀座のデートを、かつて愛した人との思い出と重ね合わせている。父と娘がダンスフロアで静かに踊るシーンの美しさ。思い出の二重奏。しかし娘はゆっくりと父親の愛情の“甘さ”に反旗をあげる。



『青空娘 4K版』©KADOKAWA1957


 一度田舎に戻り、再び東京へ。キャバレーで働くことになった有子。御曹司の広岡と高校の恩師である二見先生は、有子のことを取り合うライバルだが、2人は協力し合う。爽やかな2人の男性による、カラカラに乾いた濁りのない健全な恋愛バトルはこの映画の大きな魅力でもある。「了解!」と手を挙げて小気味よいリズムで話すキャバレーの女将(清川玉枝)。有子がキャバレーに勤めることを心配する広岡と女将の会話がたまらなく好きだ。


女将:「君は見かけによらないアホね。キャバレーに勤めたくらいでたちまち人柄が変わるような女性に君は惚れたの?」

広岡:「違います!了解!」

女将:「了解!」


 『青空娘』の一つ一つのシーンにはスピードがある。家政婦のミヤコ蝶々と同じく魚屋のお兄さんを演じる南都雄二の会話にも、当然のように忘れられないリズムがのっている(夫婦漫才)。人生のある時期を振り返るとき、言葉以上にあのときのダイナミックなスピード感や誰かの身振りのリズム感を思い出すことがあるように、この映画はスピードという目に見えない変化をカメラに捉えることに成功している。すべての消えていった瞬間への「さようなら」。有子が青空に向かって「さようなら」を唱えるとき、それは悲しみではなく希望を切り拓く「さようなら」となる。ここにはどんな環境にも敗北しない個人の強さがある。この映画のすべてのダイナミズムやエネルギーと同じように、私たちは嘘のように澄み切った有子の青空を信じることができる。


*「映画監督 増村保造の世界〈映像のマエストロ〉映画との格闘の記録 1947-1986」(増村保造著、藤井浩明監修 ワイズ出版)



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。




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作品情報を見る




『青空娘 4K版』

「若尾文子映画祭 SideA」

6/6(金)~6/19(木)角川シネマ有楽町にて上映中

配給:KADOKAWA

©KADOKAWA1957


「若尾文子映画祭 SideA & SideB」

https://cinemakadokawa.sakura.ne.jp/wakao2025/

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