新星・鈴木唯が主演を務めたもう一本の映画――髙田恭輔監督『ふれる』との関連性
また『ルノワール』は幾つかの優れた映画との繋がりを筆者に想起させた。例えばそのひとつは、第73回ベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞した『夏の終わりに願うこと』(23)だ。本作の監督は、これが長編第2作となるメキシコシティ出身のリラ・アビレス(1982年生まれ)。愛する父親の「死」が間近に迫る中、ひとりの少女の揺れ動く心を捉える――というアウトラインに共通性が認められるのだが、アビレス監督は自分自身ならぬ母親としての立場から、幼い時に父親(つまり監督の夫)を亡くした我が娘のことを想って、この映画を撮ったのだという。
そして是非とも触れておかねばならないのは、フキ役を演じた2013年生まれの新星・鈴木唯が以前に主演を務めたもう一本の映画である。それが髙田恭輔監督の『ふれる』(23)だ。2001年3月生まれの高田監督は、日本大学芸術学部の卒業制作として本作を撮り、PFFアワード2023で準グランプリを獲得。2024年9月には劇場公開も果たした。
『ルノワール』© 2025「RENOIR」製作委員会 / International Partners
この『ふれる』で映画初出演にして初主演を務めたのが、鈴木唯である。こちらで彼女が演じたのは、数年前に母親を亡くした小学4年生の美咲。『ルノワール』と同様に少女の内面へと深く分け入り、孤独を見つめ、喪失から再生への変容を丁寧に綴った作品だ。とりわけ「死」についての描写からうかがえるもの――主人公の美咲が持つ、生と死の境を超えるような鋭敏な幻視性や感知能力は、どこか『ルノワール』のフキにも備わっている特質だと思える。高田監督は2024年9月28日にテアトル新宿で行われた筆者との上映後トークで、ヴィクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』(73)からの影響を認めていたが、『ルノワール』にもエリセの血は確実に流れているのではないか。これらに共通するのは少女のまなざしを通して、言葉では語り尽くせない世界の姿を描こうとする姿勢であり、沈黙と余白を豊かに用いる筆致である。もちろん偶然の共鳴に違いないが、筆者には鈴木唯という傑物が高田監督から早川監督へ、魂のバトンを運んだようにも見えたのだ。さらに、やはり『ミツバチのささやき』のDNAを尖鋭的に受け継ぐ森井勇佑監督の傑作『こちらあみ子』(22)を置くと、近いルーツや感性で繋がる現代映画の地図や系譜を描ける気がする。
ちなみに『PLAN 75』と『ルノワール』に続けて出演している河合優実は、実は髙田恭輔監督とは日大芸術学部の同期(高田は映画学科、河合は演劇学科)で面識もあるらしい。“共鳴”にまつわるちょっと良い話として、ついでに記しておきたい。