2017.09.04
『新感染』で描かれた人間の業と希望
幅広い客層に訴求できるよう高速鉄道という刺激的な舞台が設定されたが、ヨン監督の持ち味ともいえる人間ドラマは『新感染』でも健在だ。さらに言えば、車内という逃げ場のない密閉空間を舞台としたことにより、人間の業は哀しいほどに浮かび上がることになった。ヨン監督は、ゾンビが生まれた理由や特徴を描くよりも、「ゾンビと向き合った人間たちがどのような反応をするのか」に重きをおいたという。
『新感染』は登場キャラクターの設定が絶妙だ。主人公のソグは証券会社のファンドマネージャーであり、実に即物的。情報を金銭に変える物質主義的な考えで行動しており、他人への感謝や年長者への敬いといった感情が欠如している。一方、その娘スアンは父親のそういった一面が両親の離婚の原因であることを理解しているため、感謝や敬いの重要性を感じている。2人が高速鉄道で乗り合わせたのは、粗暴だが身重の妻を守るために体を張ってゾンビと戦う中年男や、プライドが高く大声で周りを従わせるバス会社の重役、ホームレスの男、老姉妹、野球部員の高校生とその彼女など。
階級も考え方も年齢も異なるキャラクターが車両という密閉空間に押し込まれる。そこはいわば社会の縮図だ。ゾンビと対面した人間は生き残るために隠されていた感情が発露する。そこでは仲間意識を育み、助け合いや自己犠牲の精神が生まれる一方で、人間の業ともいえる足の引っ張り合いや裏切り、仲間割れ、差別といった感情も抑えることはできない。同じような試練に陥ったとき、果たして自分は正しい行動を取れるのか。そして正しい行動とは何か。そう考えずにいられない。ゾンビは人間性を試す天秤としての役割を担っているのだ。
とはいえ、救いがないわけではない。『新感染』は思いやりの心を失っていたソグが、娘スアンや乗り合わせた人々との交流を得て、人間性を取り戻していく物語でもある。ゾンビと戦う主人公が人間性を失っていたとは皮肉な話だが、ヨン監督はソグに希望をたくしたのだ。それはヨン監督が現代社会で失われてしまった大切なものを取り戻したいという気持ちの表われなのかもしれない。