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『サーミの血』知られざる北欧の差別の歴史。新人監督が“自らのルーツ”を通じて描きたかったこととは?

(c) 2016 NORDISK FILM PRODUCTION

『サーミの血』知られざる北欧の差別の歴史。新人監督が“自らのルーツ”を通じて描きたかったこととは?

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痛みや苦しみを超えた、ヒロインの“感情”を力強く描きだす


 

 この“サーミの血”はアマンダ・シェーネル監督の身体に脈々と受け継がれている。彼女自身は伝統的なサーミの暮らしからはある程度離れてしまっているものの、その血筋をさかのぼると父方の祖父母の存在に行き当たる。かつて彼らはサーミだった。しかしある時、大きな決意を胸に抱いて故郷と文化を捨てた。その後、新たな生活の中で、彼らは全くサーミ語を口にせず、自らの過去について積極的に話すこともなかったという。


 その血を受け継ぐシェーネルは、次第に祖父母を始めとする人々について考え始める。「なぜ彼らはサーミを捨てたのか?」 「その選択は本人たちにとって幸せなものだったのか?」。こういった疑問を紐解く糸口として映画化の道を模索。自身もあまり知らなかったサーミ文化の深層や、差別の歴史、寄宿学校での教育のあり方について親戚縁者をはじめとする関係者への徹底した取材を行い、その膨大な証言を「一人のサーミ人の少女=エレ・マリャ」を描いたフィクションとして集約させていったのである。


 サーミの服や小物、移動住居、トナカイの扱い方などは全て正確に再現し、しかもヒロインをはじめ作品内に登場するサーミ人にはすべて本物のサーミ人を起用。シェーネル監督はここで形作るサーミの世界観を決してごまかすことなく、リアリティを出すために心血を注いだ。そして、これほどまでに徹底した作りこみを行った上で、彼女が何よりも「触れたい」と感じたもの、それは当時、先人たちの心によぎったであろう“リアルな感情”だった。一体どのような思いで故郷に留まった者がいて、またある者はどのような思いを胸にサーミを捨て故郷を離れたのか。これらの決断は“正解”や“間違い”として容易に分類できるものではなく、いずれの決断にも各々の血のにじむような生きざまが反映されていたはずなのだ。


 もしかするとシェーネル監督は自らのルーツというものを、サーミ文化や迫害の歴史のみならず、かつて祖父母が辿ったであろう「決断の過程」にこそ置いていたのかもしれない。こうして祖父母が故郷を去ることを決意し、二人の間に生まれた息子がスウェーデン人の女性と結ばれたからこそ、今の自分(シェーネル)が産まれた。つまり祖父母の決断は今の自分自身の存在ともダイレクトに繋がっているのだ。このようにヒロインの少女の姿を借りながら、自分とつながりのある感情に肉薄し、寄り添う、あるいは追体験する姿勢こそがシェーネルの「ルーツを描く」という姿勢。こうした唯一無二の視座を持つことによって『サーミの血』はヴィヴィッドな感情によって織り成された有機的な物語へとたどり着くことができたのである。


 結果的に本作は、ヴェネツィア国際映画祭で新人監督賞、東京国際映画祭で審査員特別賞や最優秀女優賞を受賞するなど大きな賞賛と共に迎えられた。新人監督にしてこの快挙。いわばシェーネル監督が描き出した「自らのルーツ」は、この自由を希求するエレ・マリャという名の少女の瞳を媒介に、世界中の多くの観客が体感し、心を震わせるものとなったのである。全てはリスクや痛みを顧みず、事実のそのまた深層にある“感情”を追い求めてその場へと飛びこんでいった監督の力強い情熱があってこそ。世界の人々は、「ルーツを描く」という創造的なアプローチを誰もが共感可能なものとして提示したシェーネル監督の手腕に魅せられ、その映画監督としての将来性に大いなる期待を寄せたのである。


 果たしてこの北欧の逸材がこれからどのような真価を発揮していくのか。そして次なる一手としてどのような創造性を発露させるのか。まずはこの長編第一作目『サーミの血』が放つ、透き通るほど幻想的な世界観をじっくりと堪能しつつ、才能のさらなる開花を見守っていきたいところである。



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