『サーミの血』あらすじ
忍び込んだ夏祭りで、あなたに恋をした―私を連れ出して1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族、サーミ人は差別的な扱いを受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通う少女エレ・マリャは成績も良く進学を望んだが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げる。そんなある日、エレはスウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。トナカイを飼いテントで暮らす生活から何とか抜け出したいと思っていたエレは、彼を頼って街に出た――。
Index
新人監督が下した“ルーツを描く”という選択
あらゆる映画作品は、作り手から受け手へ向けて「この物語を伝えたい」という強靭な思いを凝縮して提示されるものだ。仮にそれが初めての劇場監督作ともなれば、世の中はまだその監督について何も知らないわけだから、そこには技術的な力量にも増して、まずはこの世界で自分にしかもたらすことのできない視座と、自分にしか紡ぐことのできないストーリー、それらを観客の胸にダイレクトに放つ圧倒的な情熱が必要となるのは言うまでもないこと。
『サーミの血』(c) 2016 NORDISK FILM PRODUCTION
北欧から日本に届いた『サーミの血』は、アマンダ・シェーネルという86年生まれの若き女性監督が紡ぎだした初長編作である。その初となる「映画的一歩」を踏みしめるにあたり彼女が選択した“唯一無二”のもの、それは自分自身のルーツを、彼女にしか成しえないスタイルで入念に描き出すというものだった。そこにはある種の覚悟がなくてはならないし、時にはリサーチの段階で思わぬ傷跡を掘り起こすことにもつながるかもしれない。さらには製作の過程で言い知れぬ“痛み”をこうむることもあるだろう。だが、本作を観ながら強く気づかされるのは、誰よりもシェーネル自身が「自らのルーツを深く知りたい」と静かに情熱を燃やす探求者であるという事実だ。こうした強い思いが原動力となって、この映画を別格の存在へと至らしめ、私たちの心をつかんで離さない。