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『サーミの血』知られざる北欧の差別の歴史。新人監督が“自らのルーツ”を通じて描きたかったこととは?

(c) 2016 NORDISK FILM PRODUCTION

『サーミの血』知られざる北欧の差別の歴史。新人監督が“自らのルーツ”を通じて描きたかったこととは?

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ジョニー・デップが自らのルーツに迫った監督作『ブレイブ』 



 『サーミの血』と同様、監督自身の「自らのルーツに迫りたい」とする純たる思いが爆発的な力となって優れた映画を生み出すケースは数多い。その中で一つご紹介したいのが『ブレイブ』(98)である。本作はネイティブ・アメリカンのチェロキー族の血を引くジョニー・デップが監督、脚本、主演という3役をこなした作品だ。 


 その内容はかなり異色の様相を帯びている。ネイティブ・アメリカンの男が貧しさゆえに追い詰められ、やがて仕事を求めるあまり報酬と引き換えに裏社会で流通する“スナッフムービー”への出演を決意する。その映画への出演は死を意味する。撮影までの一週間、彼はこれまで苦労をかけっぱなしだった妻と子供らと大切に生きようとするのだが・・・。 


 これはネイティブ・アメリカンの若者たちの暮らしや貧困問題などを描き出すとともに、スピリチュアルなライフスタイルや死生観なども織り交ぜて描いた野心作だ。カンヌ映画祭でも上映され、一部では肯定的な意見もあったものの、しかし本国の批評家の中には辛辣な批評をする者もあり、これらを受けてデップはアメリカでの劇場公開を取りやめてしまった。題材から見ても決して万人受けされる映画とは言えないかもしれないが、デップが長編劇映画の監督を務めたケースはこれまでこの一度きりであることからも、その思い入れが相当なものであったことがうかがえる。 


 今や『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを始めとする超大作でおなじみのデップだが、彼がこの異色作を通じて何らかの形で自らのルーツと向き合おうとしていたことは間違いない。その意味でも彼のアイデンティティが濃厚に溢れ出した興味深い一作。よく知られた表現者ジョニー・デップとはまた別の、クリエイターとしての側面をうかがい知ることができる上でも、世の中に埋もれさせておくにはもったいない作品だ。


 『サーミの血』と『ブレイブ』はほんの一例にすぎないが、いずれの作品も監督自身が自分の生まれる前から抱えてきたものを直視し、そこから映画的なアプローチを施すことによって一作の物語を掘り起こしていった貴重な試みである。痛みやリスクを恐れず突き進んだからこそ、そこには監督自身の葛藤と、それが昇華されていく瞬間さえもが如実に滲み出ている。“ルーツを描く”ことは、映画監督にとっていわば通過儀礼のようなもの。受け手の我々もまた、彼らの覚悟を作品の端々に感じ取りながら、敬意を持ってそれぞれの作品に臨みたいものである。




文: 牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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(c) 2016 NORDISK FILM PRODUCTION

公式サイト: http://www.uplink.co.jp/sami/ 


※2017年9月記事掲載時の情報です。

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