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『ビッグ・フィッシュ』と自分自身の物語【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.37】

『ビッグ・フィッシュ』と自分自身の物語【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.37】

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人生の解釈としてのホラ話





 やがてエドワードに最期が訪れる。そのときを悟った彼は、息子に物語を聞かせてくれるように頼む。ウィルは慣れないながらも父親の調子を真似てその盛大な締めくくりを即興で語った。病院を抜け出した父子が川にたどり着くと、岸にはこれまで出会った人々が迎えてくれる。ウィルが抱きかかえた父親を川の中に送り出すと、エドワードは大きな魚に変身して泳ぎ去る……。こうしてエドワードの死は物語となり、盛大な作り話はついに完成した。


 エドワードの葬儀に参列する大勢の中に、ウィルは父の物語に登場するのとよく似た顔ぶれを見つけ、彼らが実在していたこと、父の話には真実も含まれていることを知る。特に双子が登場するシーンが良い。エドワードの話の中ではひとつの下半身を共有する双子だったが、葬儀に現れた双子もぴったり身体を横に並べて他の参列者と話し込んでいる。と思ったら、次の瞬間には片方がその場を離れてどこかよそへ行ってしまい、身体が別々であることがわかる。5メートルほどの巨人とされていた男も2メートルほどの大男だった。エドワードは人生で出会った人々や出来事を脚色、誇張して物語を作り上げていたのだ。


 一家の主治医でエドワードの治療に当たっていたベネット医師も、ウィルが生まれた日について真実を告げた。その日、エドワードはセールスの仕事のために出産に立ち会うことができなかったのだ。そのことを悔やんでいるために少しでも事実を愉快にしようと、大きな魚を釣り上げた話をしていたのかもしれないと。エドワードの作り話はただの現実逃避やごまかしとは違う。それは人生をより楽しく生きるための物事や出会いの捉え方なのだと思う。


 ティム・バートン監督はこの映画の少し前に父親を亡くしており、また映画公開の年に長男が誕生していて、まさに劇中のウィルと重なる。バートン映画はどれも個人的な作品という印象があるけれど、特に本作はその深い部分に通じているように思う。同時に観る者もまた自分自身の物語のように感じられるのがすごいところ。まるで自分だけの特別な映画、というふうに大切にしたくなるのが、バートン映画の魅力だ。個人的な経験や物語が、想像力によって少し(かなりかも)姿を変えてスクリーンに現れる。映画そのものもエドワードのホラ話と同じなのかもしれない。



イラスト・文:川原瑞丸

1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。「SPUR」(集英社)で新作映画レビュー連載中。 

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