日々忙しく過ぎ去っていく現代に、かすかに残っていた本当の“くらし”。岩手県一関市の生活に、その“くらし”を見出した小松真弓監督は、今撮らなければ消えてしまうかもしれないと、駆られるように自ら撮影を始め、1本の映画として完成させる。出演者は実際に一関に暮らす人々、スタッフは全てボランティア、予算は自ら捻出と、大変な苦難を乗り越えて完成させた映画だが、その上映についての詳細はまだ何も決まっていなかった…。
この映画を作り上げた、小松真弓監督と及川卓也プロデューサーに話を伺うインタビュー、前回の撮影編に続き、後編:上映編をお届けする。
前編:撮影編はこちらから
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決まっていなかった上映
Q:大変な撮影・編集を経て、ようやく完成した作品ですが、当時は映画としての上映が決まっていなかったとのこと。その後はどういう経緯で公開に至ったのでしょうか。
小松:当初この作品は、学校や老人ホーム、市民センターなどで上映しようと思っていたのですが、撮影に参加してくれた方々や、完成した映像を観た人たちが、「これは、映画館で流すべきものだ。」と言ってくれたので、映画館での上映を強く思うようになりました。
しかし、私は監督作業に手一杯で、そのほかの進行にまで手がまわらなかったので、まずは完成させてから、その次にプロデュース作業に取り掛かりました。と言っても、映画のプロデューサーなんてやったことがないので、映画館で上映するためにどうすればいいか全くわかっていませんでした。
とはいえ、映画館でかけたいのだから、まずは映画館に電話してみよう!とあまり何も考えず動いてみたんです。
Q:小松さんご自身で、ですか。
小松:はい。ミニシアターのユーロスペースの電話番号を探して、伝える要点を紙にわざわざ書いたりして、「自主制作で映画を撮ったのですが、見ていただけますか?」と、緊張で声を震わせながら電話しました。支配人の北條誠人さんに見ていただけることになり、とても嬉しかったのですが、「隣で一緒に見ましょう。つまらなかったら途中で切って帰ってもらいます。」と言われ、恐ろしかったです。
Q:意外な展開ですね。
小松:約束していた日の前日は眠れなかったですね。大物俳優さんが何人も出演するような、大きな撮影現場の前日よりも緊張しました。
データを入れたMacと、急に壊れたら困るので、D V Dプレイヤーも持つという安全策をとった上で、大荷物で自転車をこいでユーロスペースに行きました。初めましての挨拶をした後で、北條さんの隣で一緒に見たのですが、さすがに変な汗をかきました。エンドロールまで見ていただき、最初に北條さんに言われたのが「君、何者?」と言う言葉でした。
実は、「自主制作で映像を作ったので、みてください。」としか伝えておらず、自分が普段から映像を作っていることは一切言ってなかったんです。
Q:なるほど、何だか面白くなってきましたね。
小松:北條さんに「これ、どうやって作ったの?いきなり持ってきたの?」と聞かれたので、「はい。映画館で上映したかったので、映画館に相談すれば良いかと思いまして…。」と正直に伝えました。北條さんは大笑いしていました。多分北條さんは、私があまりにもルール無視のパンクな感じで現れたので、面白かったんだと思います。いろいろ話をしてくれましたが、「とりあえず、配給会社を見つけてきなさい。」というミッションだけをいただいたので、友人がネットで見つけてくれた、配給会社のセミナーに行ってみる所から始めました。