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今撮らなければ消えてしまうものがそこにある『もち』小松真弓監督&及川卓也プロデューサー【Director’s Interview Vol.67】

今撮らなければ消えてしまうものがそこにある『もち』小松真弓監督&及川卓也プロデューサー【Director’s Interview Vol.67】

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岩手県一関市、そこに伝わる「もち」の食文化をベースに、人々の暮らしを丁寧に綴っていくオリジナルストーリー。主人公は、閉校間近の中学校に通う3年生の少女ユナ。思春期の少女独特の揺れ動く心情と成長を描いたこの物語、驚くべきは全て実在の人々が本人を演じていること。限りなくノンフィクションに近いフィクションという手法で、自らの人生を追体験させるこの試みは、何を意図して作られたものなのか。この映画を作り上げた、小松真弓監督と及川卓也プロデューサーに、前後編二回に分けて話を伺った。まずは前編:撮影編から。


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今は失われているものが、そこにはあった



Q:最初は、岩手県一関市の食文化である「もち」を紹介するPR映像をつくる予定だったと伺いましたが、どういった経緯で今回の映画を作ることになったのでしょうか。


小松:PR映像の話は確かにあったのですが、実はそれと映画は全く別の物なんです。PR映像を作る際に、もちの食べ方を軸に地元の方に取材をして、いくつか企画をPR用に作りました。


もちの取材とは別で、世間話の様に話していた、日々の暮らしの小さな出来事の一つ一つや、祭りや行事の思い出、人とのつながりに、個人的に興味を持ちました。その後も話を聞き、カメラを回し続け、単純に面白い人知ってる?という感じで、人を紹介してもらい、気づけば色んな人に繋がっていきました。


それで最終的には、映画に出演してくれた中学生の佐藤由奈ちゃんや、おじいちゃん役の蓬田稔さんにたどり着きまして、のちのち何かにしようと脚本を書いておいた…。という感じですね。その本の感想を聞こうと及川さんに見せた時に、「これをどうしてもやりたい!」という話になりました。しかし、映像を作る時に必要なものがあまりにも欠けていたので、「これはどう考えてもできない。」と何度もお断りしました。


その後、私も自分の中で相当葛藤した上で、腹を括って取り組むことになるのですが、一関出身の及川さんの熱い意志に押されたのも、大きな理由ですね。




Q:なるほど。では、そうやって色んな方の話を聞くにつれて、映画にしたいという思いが募っていったんですね。


小松:そうですね。私は東京でCMを作る仕事をしているのですが、ここ数年はメールでのやり取りが多くなっていて、そこで完結してしまうことも多々あります。経済活動のスピード感も含めて、いかに効率よく上げていくかを追求するあまり、世知辛い話も耳にすることが多くなってきた様に感じます。人が真ん中のコミュニケーションが薄くなっていく様で、違和感を覚えていました。


そんな折、一関の方々の暮らしに触れてみると、皆さん、人が人のことを思って生活してるんですよね。人としてしっかりと大地の上に立っているというか、“足るを知る”人たちがいると感じました。


話を聞いていくと、皆さん、人と人、人と自然、みたいなことを、ちゃんと理解しているなと感じましたね。映画の主な撮影地は骨寺村なのですが、その土地は鎌倉時代に描かれている『陸奥国骨寺村絵図』にある通り800年近くその景観が変わらず残っている、稀有な場所です。土地のことを愛し、守ってきたのがよくわかります。


そんな土地だから尚更、小さい頃に私の周りにもあったけれど、今は失われてしまったたくさんの光が見えました。その光は当たり前の様にそこにあるものなので、その土地に暮らしている人には見えてないものだと思います。


そして私たちが忙しく暮らしていく中で、気づかぬうちに消えていった光の様に、それは風前の灯であると思えてならなかったのです。


昔、一関には「鶏舞」という神楽があったのですが、それを復活させた学校があって、そこに取材に行った際に出会ったのが、今回主演してくれたユナちゃんでした。広い校庭の真ん中で、神楽の衣装を着て一人でスッと立っていたんです。それがなんとも格好良くて、物怖じしない反抗的な目をしていて、なんだか野生動物を見ているようでしたね。とにかく綺麗で、たくましい感じがありました。




また、彼女はまだ中学生にもかかわらず、地元のことを色々と知っているんです。代々受け継いで教えられているんでしょうね。「あの山の雪の形がキツネの形に変わったら、田植えの時期なんです。」って、まさに、季節とともに生きているんだなと思いました。


これは、一関だけの話ではなく、日本という単位で見回しても、伝統芸能や文化、おじいちゃんから聞く話、唄、の中に、「人と自然と時間を結びつけるもの」がたくさん残っていて、それらはすべて人が生きていくために先人たちが残してきた「やさしい暗号」の様なものだと思うんです。


その裏に隠された意味がとても大切なのですが見えにくい。時代にあってないものもあるので、残していこうと思わないと、絶対に無くなっていく。面倒くさいという理由で見て見ぬ振りをしてしまったら、これから生まれてくる人たちは、この「やさしい暗号」の意味すら知らない世界で生きていくのか。そう思うと悲しくなりました。


そこで、もし私が、今の一関の皆さんから聞いた話や、そこで見た色んなものをつなぎ合わせて、映像として残しておけば、将来色んなものが無くなったとしても、何か復活するきっかけになってくれるのでは無いか、そう考えたんです。ユナちゃんの学校が神楽を復活させたように、映像が同じ役割を担えるのではと思いました。


とはいえ、こんなこと私が語っていいのか?まして撮影も経験したことのない地元の人と一緒に残すということ、仕事を休んで予算も捻出して自分の生活はどうなるのか?など、考えたら恐ろしいことばかりでしたね。また、私の作品として撮る感じではなかったです。今思うと撮らされた、撮らしてもらった感じです。



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