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『千夜、一夜』は田中裕子に圧倒される【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.11】

(C)2022映画『千夜、一夜』製作委員会

『千夜、一夜』は田中裕子に圧倒される【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.11】

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 『千夜、一夜』(22)は圧倒的に田中裕子の映画だった。荒涼とした港町の風景のなかに田中裕子がぽつんと立っているだけで納得してしまう。彼女は登美子という、30年前に行方がわからなくなった夫を待ち続ける女なのだ。もう老境にさしかかっている。記憶があいまいになって、もう夫の顔もよく思い出せない。一緒に暮らしていた頃、たまたまカセットテープに録音した他愛ない会話のやりとりを何度も何度も聴き直している。夫は北朝鮮に拉致されたのかもしれないし、そうでなくどこかの街で別人として暮らしているのかもしれない。


 と書いて、すごい設定だなぁと思う。映画のプレス資料によると全国の警察に届けられる行方不明者の数は年間8万人だそうだから、もしかしたら僕が思っているよりずっとありふれた話なのかもしれない。が、やっぱりすごい設定だ。純文学なら言葉の力で、ドキュメンタリーなら事実の重さで成り立たせるのかもしれないが、何といっても商業映画でこれに説得力を持たせるのだ。「世界」に引き込む力を持った、スーパーな役者が要る。


 ロケ地は佐渡だ。久保田直監督は企画の段階から舞台を島にしようと考えていたという。不審船が現れたり、大陸からの漂着物が流れ着く新潟の海。「待つ女」は船の到着に思いをこらしている。「人の出入り口が一箇所なので、主人公は毎日のようにその場所を見つめ、最愛の人が帰ってくるのを待っている。というイメージがあったからです」(久保田監督)。いや、正確を期せば「船の到着に思いをこらしている暮らし」が人生に貼り付いてしまった女性なんだと思う。


 ひとつ連想するのはベケットの『ゴドーを待ちながら』だ。待っているうちに待っていることが自己目的化して、待っていることがすべてになってしまうような、何も起きない演劇。待っていることの意味が消えてなくなってしまう。考えてもみてほしい。30年待って夫が帰ってきたとして、30年前の時点からやり直せるだろうか。田中裕子の演じる登美子は不思議な女性だ。とてつもなく頑固で、「待っている、宙ぶらりんな人生」から断固撤退しない。もはやひたむきな純愛というのではなかろう。ある意味でとても観念的な存在だ。こうやってアウトラインを説明してもリアリティが希薄に思える。


 が、その登美子を田中裕子が演じてみせるのだ。その説得力! あぁ、この人は本当にいるんだなとグウの音も出ないくらい思い知らされる。僕は『千夜、一夜』の田中裕子を見ているだけで胸いっぱいになった。だから、物語もセリフもとりあえず措いて、皆さんには田中裕子を見てくださいと申し上げたい。



『千夜、一夜』(C)2022映画『千夜、一夜』製作委員会


 役者ではね、ダンカンがいい。ダンカンさんは個人的にも面識があり、そりゃもうたけし映画をはじめとするキャリアはよく知ってるけれど、『千夜、一夜』の登美子に横恋慕するダメ男は出色だった。こんなに味のあるダメ男を演じられる役者になったんだなぁ。日本映画のダメ男でいえば『遠雷』(81)のジョニー大倉に匹敵すると言ったらひいきが過ぎるか。つまり、最高だと僕は言っている。寂しくて寂しくて泣きたくなった。60代になり、これからバイプレーヤーとして磨きがかかるに違いない。


 この映画の駆動力になっている「行方不明」「失踪」について書きたい。ストーリー上では夫のその後はまったく描かれない。海難事故で亡くなったのかもしれないし、登美子との暮らしに嫌気がさしていたのかもしれない。理由を仄めかすモチーフは一切登場しない。それはそういうものかもしれない。発端は魔が差したみたいなことかもしれない。いったんコミュニティの引力圏から離れて、いつでも戻れるつもりだったかもしれない。戻るつもりが戻れなくなり、そのままになってしまう。今さら、もう戻れないと考え始める。戻る理由やきっかけを失う。


 昔は「蒸発」と言った。今村昌平の実験映画『人間蒸発』(67)もこれを駆動力にしていた。僕の知る例は、ある日、夫がクルマで出かけたきり帰って来なかったというケースだ。1人の人間が跡形もなく消えてしまうから「蒸発」というのだが、実際には生々しかった。そこんちは奥さんが知り合いなのだが、クルマまで持ってくなんてとカンカンである。いや、クルマはいいじゃないですかと思ったのだ。クルマより人間でしょう。旦那さんでしょう。が、クルマがないと不便じゃないのと怒髪天をつく勢いだった。嫌がらせかと。クルマを持っていくなんてと。


 もちろん失踪それ自体にショックを受けているのだが、「せめてクルマは置いてけ」と言うのだった。『千夜、一夜』と違って、埼玉の坂戸という街に暮らす奥さん(と子ども)は切り替えて生活を始めた。保険の仕事と家事の両立は大変だったと思うが、傍には夫が帰ってくるのを待つ様子はあんまり見せなかった。そのうちに面白いもので「ご主人をどこそこで見かけましたよ」「どこそこで別の家庭を持たれてますよ」とご注進してくる人が現れる。もう丸わかりだそうだった。とっつかまえて養育費のダンドリをつけたらしい。だから、実際には跡形もなく「蒸発」するのも簡単じゃない。


 で、僕は何かにくたびれてマンションの車庫からクルマを出すとき、その人のことが少し頭をよぎるのだ。このままコミュニティの引力から離れ、どこかに行ってしまったらどうだろう。別の人生が待っているだろうか。妻は「せめてクルマは置いてけ」と激怒するだろうか。が、クルマを出したとき、これ、だけど駐車場はどうするんだろ、と思う。クルマで失踪するとクルマをどこかに駐めなくてはならない。あのご主人はどうしたんだろうと思うのだ。思い切って路上駐車だろうか。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



『千夜、一夜』
10月7日(金)テアトル新宿、シネスイッチ銀座ほか全国公開
配給:ビターズ・エンド
(C)2022映画『千夜、一夜』製作委員会

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