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バッ「ド」マンですから、なにぶんよろしく【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.5】

© CINÉFRANCE STUDIOS - BAF PROD - STUDIOCANAL - TF1 STUDIO - TF1 FILMS PRODUCTION ©STUDIOCANAL ©Julien Panie

バッ「ド」マンですから、なにぶんよろしく【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.5】

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 暑い日が続く。今週は気楽なコメディーの紹介だ。まったく難しい話ゼロ。マジしょうがねぇな、ホントにもう、と思ってるうちに「FIN」の文字が出る。つまり、(「THE END」じゃないから)フランス映画だ。


 マジしょうがねぇな、ホントにもう。感覚としては中学時代のアホな友達に似ている。口を開けばクーダラナイことしか言わない。長年連れだってうだうだやってきたから言いそうなことはわかるんだけど、やっぱり言うんだなぁ。で、悔しいけど笑わされてしまう。憎めない。人生にアホな友達が必要だ。何でかっていうとオレもアホだから。


 そんな地元のツレみたいなのが「フランス映画」にいただろうか?

 

 いたのである。思い出してほしい、フランス版『シティーハンター』を。正確な邦題は『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』(18)。あの北条司のマンガを驚くほどの再現度で実写映画化したチームのことを。フィリップ・ラショーという監督のチームだった。僕はテレビの深夜映画帯で見たのだが、何だか意味がわからなかった。何でフランス人が『シティーハンター』やってるのか。しかも「もっこり」など、80年代のギャグを忠実に再現しようとするのか。僕は夜中、笑えてしょうがなかった。そもそも『シティーハンター』という選びが中学時代のアホな友達だ。そこで来るか。憎めない。何でかっていうとオレも『シティーハンター』は血肉化しているから。


 で、やっぱりいちばん奇妙な点はフランス人がコスプレで『シティーハンター』やってるところである。必然性がよくわからない。が、絶対悪いヤツじゃない。間違いなく「こっち側」の人間だ。ていうか、中学時代のアホな友達だ。ざっくりいってそのような感想を持った。


 で、その『シティーハンター』やったチームがまたやってくれたのが『バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー』(21)だ。バットマンじゃなくてバッ「ド」マン。しょうこりもないというか、いい加減にしろというか。中学時代のアホな友達だから当然のようにやらかしてくれる。


 今回はコスプレのバットマン(?)だ。売れない役者にヒーロー映画の主演の話が舞い込み、やる気マンマンで演じていたのだが、事故に遭って扮装のまま頭を強く打ち、記憶をなくす。で、扮装を見て自分が本当のスーパーヒーローだと思い込んだ主人公は悪党を懲らしめるべく立ち上がるのだ。

 

『バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー』© CINÉFRANCE STUDIOS - BAF PROD - STUDIOCANAL - TF1 STUDIO - TF1 FILMS PRODUCTION ©STUDIOCANAL ©Julien Panie


 と設定を書いて、状況を呑み込んでいただけたかと思う。アホ設定だ。記憶喪失ネタ。いやもう、あらゆるご都合主義コメディーの源泉というか、本当の記憶喪失はそんなお気楽なもんじゃないだろうというか、まぁ、定型ですね。マジしょうがねぇな、ホントにもう、と言うしかない設定。もちろんドタバタコメディーにしかなりようがない。


 映画を見終わって僕が考えたのはコスプレ、扮装の問題だ。本作の設定のように映画俳優ということでなくても、今の世の中、コスプレ、扮装をすることはよくある。というか、現代は史上空前の「コスプレ、扮装の時代」と考えることもできる。地方の遊園地の集客企画としてコスプレ大会はもはや一般的だ。誰でもヒーローやヒロインの扮装が楽しめる世の中になった。


 で、そのコスプレ、扮装をした人が「記憶喪失」をした場合、その扮装が自分だと思うのだろうか。ここは考えれば考えるほど面白い。「記憶喪失」ネタの基本として、ハッと気づいたら、ということにする。ハッと気づいたら自分がバットマンの格好をしていた。あ、オレはバットマンなんだなと思うだろうか。ハッと気づいたら自分は春麗の格好をしていた。あ、私は春麗だと思うだろうか。ハッと気づいたら自分は岸辺露伴の格好をしていた。あ、岸辺露伴だと思うだろうか。


 思うわけないだろ、というツッコミは確実に成立する。フツーに考えたら思うわけがない。それはもう「記憶喪失」というだけじゃない。誇大妄想のような何かにとらわれている。


 が、あるかもしれない。あるかもしれないという立場もある。あるかもしれないというのが「こっち側の人間」だ。中学の友達だ。コスプレ、扮装をゲームやマンガ、アニメのキャラクターに限定して考えると飛躍が生じる。大概の人は峰不二子ではないし、クラウド・ストライフとは似ても似つかない。が、みんな扮装はしているのだ。僕はフリーランスのライターとしてずーっと暮らしてきて、年に数回しかネクタイを締める機会がない。たまにスーツを着るとき(そういう服装が要請される取材がある)は、「よし、今日は社会人で行こう!」と、社会人コスプレをする感覚でネクタイを締める。あるいはマンガ家の桜沢エリカさんの高校時代のエピソードだ。桜沢さんは制服のない都立高校に通っていたのだが、仲のいい友達とお揃いの「どこのでもない制服」を作って、女子高生コスプレで通学していたそうだ。現実の女子高生が「女子高生コスプレ」で高校へ通う(!)。


 だから、大概の人は扮装をして社会的な役割を演じているとも言える。おまわりさんは扮装をしている間だけおまわりさんの役をやっている。駅員さんは扮装をしている間だけ駅員さんの立場をやっている。


 問いは戻る。扮装をした人が「記憶喪失」した場合、その扮装が自分だと思うのだろうか。そんな気もするのだ。そもそもその扮装を選んだ段階で、半分はその人だ。願望が入っているし、趣味が入っている。あるいは僕の「社会人コスプレ」や、(高校時代の)桜沢さんの「女子高生コスプレ」のように社会的役割が入っている。シャレや冗談のつもりでやってることが、案外自分の本体に貼り付いて離れないものだったりする、それこそが本人だったりするパターンだ、


 といってね、『バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー』のようにその気になって悪党と対峙するかどうかは別問題だけどね。


 しかし、「バッドマン」で検索すると、iPhoneが気をきかせて「バットマンも含めた結果を表示しています」と本家のバットマンばかり出してきたよ。打ち間違いだと思うんだろうな。まさかバッ「ド」だとはねぇ。ごめんな、iPhone。マジしょうがねぇな、ホントにもう、としか言いようがない。中学の頃からこいつはこういうヤツなんだ、カンニンしてやってくれ。



1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido


『バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー』
7/15(金)より、全国ロードショー
配給:アルバトロス・フィルム
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