自分の中のものを引き出してもらう
Q:優しく脳天気、そして戸惑う夫に、香取さんがバッチリはまっていました。脚本段階から香取さんの主演が決まっていたとのことですが、「普通の夫婦の話」と「香取さんの出演」はどちらが先に決まったのでしょうか?
市井:夫婦の話を書きたいのが先でした。その後「香取慎吾さんで映画を」とお話をいただいてから、この夫婦の話がハマるのではと思ったんです。実は14年前にぴあフィルムフェスティバルで僕がグランプリを受賞した際、そのときの審査員が香取さんでした。それでいつかご一緒したいなと思っていましたが、香取さんはスーパースターすぎるので夢のまた夢だなと。でももし香取さんにお願いできるのであれば、すごく平凡な人を演じて欲しいねって以前から妻と話をしていたんです。そんなこともあり、今回の香取さんには筋トレや雑学が趣味の平凡な男性をやっていただくのが面白いのではないかと。
そこからは香取さんを想像しながら当て書きで脚本を進めました。でも香取さんがスーパースターすぎて、書いている時は平凡な感じがあまり想像できなかった。役の裕次郎と香取さんがしっかり合致したのは、本人が情けない部分や弱い部分を現場で引き出してくれたときでしたね。
Q:香取さんと岸井ゆきのさんの夫婦としての組合せも新鮮でよかったです。余貴美子さんも怪演され、井之脇海さんも面白かった。キャスティングはどのように進められたのでしょうか。
市井:今回はご一緒したい方を通させてもらいました。岸井さんをはじめ、余貴美子さんや井之脇海さん、的場浩司さんに眞島秀和さんにきたろうさん、浅田美代子さんも皆さんご一緒したかった方々ですね。
特に岸井さんとはかなり前からご一緒したかったので、ある意味、岸井さんも当て書きしています。岸井さんはすごく映画的な顔をされていて一度見たら忘れないくらい個性的ですが、顔が濃いか薄いかって言うと、薄いと思うんです。なので、薄いからこそ表情の変化が観客に伝わりやすい。つまり表情一つに感情の変化や観客に想像させる過去や状況など、沢山の情報がギュッと凝縮されるんです。
『犬も食わねどチャーリーは笑う』©2022“犬も食わねどチャーリーは笑う”FILM PARTNERS
Q:若槻(井之脇海)の妻となる新婦を演じた松岡依都美さんも、少ない出番ながらもとても印象的でした。メインではなく少しだけ登場するような役者さんに対しては、どのような演出をされるのでしょうか。
市井:役の大小にかかわらず一貫しているのは、役という着ぐるみに入らずにあくまで自分の中のものを引き出してもらうこと。例えば今回の香取さんだったら、別の人物になり変わろうとはせずに自分の情けない部分やだらしない部分を引き出してくださいとお願いしました。それは、ちゃんとそこに存在する人間として撮りたいからだと思うんです。
また、キャラクターの背景に関しては役者さんの自由に考えてもらっています。だからその役の背景が少ししか映っていない場合は、逆に役者さんは自由に演じられるのではないかと。そもそも、そういうことができる方ばかりをキャスティングしているので、演出で苦労したことはあまりないかもしれませんね。
Q:フクロウのチャーリーもこの映画に欠かせない存在感を放っていますが、なぜフクロウだったのでしょうか。
市井:以前『隼』(05)という自主映画を撮ったときに、猛禽類は一度“つがい”になったら離れないという話を知りました。それでフクロウもそうだろうと勝手に思い込んでしまった(笑)。フクロウって可愛らしい顔をしているのに肉食で獰猛な面があったりして、ある意味日和とも近い部分がある。実は、フクロウは繁殖期が過ぎたら“つがい”を離れて去ってしまうということもあるらしく、それはそれで面白いなと。