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『ベイウォーク』、業のような領域【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.17】

ⒸUzo Muzo Production

『ベイウォーク』、業のような領域【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.17】

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 粂田剛はフィリピンで暮らす困窮邦人を追ったドキュメンタリー映画『なれのはて』(21)で高い評価を受けた。第3回東京ドキュメンタリー映画祭の長編部門グランプリ&観客賞受賞作だ。フィリピンの魔力にとり憑かれ、日本に帰れなくなって、最底辺の暮らしを送る男たちを、実に7年渡航20回にわたり撮り続けた作品だ。惹き込まれた。情報量がとんでもなく多い。マニラの街は匂いたつように美しいし、そこで袋小路にはまり込んだ中高年男性たちの「生」は侘しく、身にしみるほどリアルだ。粂田監督は自らハンディカメラを持ち込んで、質問したり話しかけたりする「被写体にならない、もう一人の登場人物」になるのだが、その粂田さんの目線がとてもいい。


 社会正義に寄せた「世に知らしめる」とか「警鐘を鳴らす」みたいのがゼロだ。彼自身がむちゃくちゃ惹き込まれている。困窮邦人を放っておけない(気になって仕方ない)感情が彼を断続的に20回もフィリピンへ向かわせたのだが、といって助けなくちゃと思ってる風でもない。とにかくとことんつき合おうと思っている。僕は色川武大の競輪ものを連想した。「人間のキワ」を見ようとしている。「人間のキワ」までつき合おうとしている。


 で、読者よ、幸運に感謝しよう。粂田監督のフィリピンロケには『なれのはて』に収録できなかった男が2人いたのだ。もちろん尺の問題だ。そもそも『なれのはて』の取材だって膨大な量の映像をよくあそこまで整理し、編集したなぁという感じだ。あれであと2人、人物を増やしたら内容も薄まるし、まとまりがつかなくなっていただろう。


 幸運というのは『ベイウォーク』(22)のことだ。前作『なれのはて』に未収録の2人がフォーカスされ、もう1本作ってくれた。姉妹版だ。あんな面白いドキュメンタリーがもう1本見られるのだ。姉妹版といっても、別に前後のつながりがあるわけじゃないから、これはこれ単体で圧倒的な面白さだ。


 映画冒頭、映し出されるマニラ港湾の遊歩道が「ベイウォーク」だ。夕陽の美しさで定評がある。日中から夕方までは家族連れやカップルでにぎわう憩いの場だが、夜になると雰囲気が一変、大勢のホームレスのねぐらとなる。そのなかに日本人がいた。赤塚崇さん、58歳。最初、カメラを避けるふうだった赤塚さんは次第に心を許し、自らの境遇を語りはじめる。彼は日本にいるときは裏稼業でブイブイいわせてた人物だった。フィリピンの儲け口に騙され、無一文のすってんてんになる。ドラマならエンドマークが出そうなものだが、帰国するにも金がなく、死ぬわけにもいかない。エンドマークの後も人生は続くのだ。粂田監督はその「残りの人生」にカメラを向ける。


 赤塚さんという人は愛嬌があるのだった。その愛嬌がライフハックだ、昼は露店のタバコ売りを手伝い、夜はベイウォークで寝る。道端で顔見知りに声をかけ、困ったら助けてもらう。何の展望もないその日暮らしだが、それなりに環境に適応している。そのとぼけたような、絶望のような暮らしぶりについ見入ってしまう。それにしてもマニラ貧民街の人々は優しい。その互助の精神にほろっと来るのだった。日本人がとっくのとうに失ってしまった他者への慈しみだ。



『ベイウォーク』ⒸUzo Muzo Production


 もう1人の登場人物、関谷正美さん62歳は、ベイウォークにほど近い高層住宅に住んでいる。彼は年金暮らしのひとり者だ。生活費の安いフィリピンで余生を過ごそうとアパートメントを購入、移住を決めた。ベランダから見渡せる海を眺めて、関谷さんは最初、得意満面だった。「呑む・打つ・買う」が近場でできるマニラを称揚し、バラ色の老後を語っていた。


 が、関谷さんの移住生活は自閉している。フィリピン人に心を開かず、モノを買ってきて部屋で生活するだけ。心の奥底には差別心もあるのだと思う。「バラ色の老後」はあんまり楽しくなさそうだ。粂田さんのカメラに向かって愚痴ばかり言う。無一文の赤塚さんがたどり着いたマニラ市街のコミュニティには一切アクセスしない。それはもう眺望のいい独居房だ。関谷さんの「残りの人生」はそこで暮らすことだった。


 映画を見た後、色々考えたが、『ベイウォーク』は絵に映ってるもののほかに「映ってないもの」を想像させるドキュメンタリーだと思った。例えばの話、赤塚さん関谷さんの日本での暮らしを想像しない観客はいないだろう。赤塚さんがブイブイいわせてた頃の生活。関谷さんが定年まで勤め上げた暮らし。そのどこかに破綻があったのか偶々なのかはわからないが、「残りの人生」をフィリピンまで飛躍させる助走というか滑走路のようなものがあったのだと思う。映像は「人間のキワ」を映しているが、そのキワを見せるそもそもの人間はどんな有様だったのか。それは(フィリピンで袋小路に陥るような)特殊なタイプの人間なのか、それとも誰にでも置き換え可能なごくフツーの人間なのか。


 僕は粂田監督にも興味がわいた。被写体になってる赤塚さん関谷さんは確かに「人間のキワ」だと思うが、撮ってる粂田さんはどうなのだろう。撮られて映像に映ってる赤塚さん関谷さんの、カメラをはさんだこちら側に粂田さんがいる。「人間のキワ」に惹きつけられ、魅入られている視線がある。それを思うと『ベイウォーク』という作品は「単に取材したマニラ邦人が2人余っちゃったので、もう1本作りました」で済むわけがない。「業」のような領域だ。疑いなく大傑作!



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



『ベイウォーク』

2022年12月24日(土)新宿K’s cinemaほかにて公開

配給・宣伝:ブライトホース・フィルム

ⒸUzo Muzo Production

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