加害者家族も普通の人だと感じて欲しい
Q:映画の冒頭では、二組の夫婦のどちらが加害者の親なのかを探し、判明後は加害者の親を攻撃的な目で見てしまう。そして話が進むにつれ、自分の視点が加害者の親にもあることに気づかされ、自分の偏見を恥じつつ愕然とします。
クランツ:まさに自分も同じ視点を持っていました。学校で銃乱射事件が起きると、加害者の家庭でネグレクトや虐待があったのではないかと疑ってしまいますが、リサーチした中では、加害者の親は皆普通の人たちばかりでした。自分自身、加害者の親を好奇で攻撃的に見ていたことを恥じましたし、なぜそう思ってしまったのだと疑問も抱きました。リサーチしていく過程では、むしろ加害者の親に共感してしまい、そのこと自体にも驚きました。
資料として読んだ「息子が殺人犯になった――コロンバイン高校銃乱射事件・加害生徒の母の告白 原題:A Mother’s Reckoning」(スー・クレボルド著)という本は、親としてとても共感できる内容でした。自分たちにも同じことが起こっても不思議ではない。そう思えました。
映画にするにあたっては、加害者の親たちを敵対者にしてはいけないし、かといって美談にしてもいけない。あくまでも一人の人間として描くべきだと思いました。加害者の親たちの思いを、相手が納得する形でしっかりと表明する必要がある。彼らは罪悪感を抱えて生きていますが、だからといって悪い人間だということではない。観客が彼らを一人の人間としてみることが出来れば、彼らを断罪することはないと思ったんです。
『対峙』© 2020 7 ECCLES STREET LLC
Q:導入に当事者4人以外のエピソードが出てくるのがとても良かったです。現実と地続きの感じがして映画に没頭できました。このシーンを入れることは脚本の初期段階から考えていたのでしょうか。
クランツ:まず脚本に書いたのがオープニングシーンでした。誰かが誰かを助けるという概念がとても好きなので、加害者や被害者の家族をサポートしている人たちを絶対に入れたかった。また、非常に重苦しい4人の会話に観客がスムーズに入り込むためには、現実と地続きの話なんだと分からせる必要がある。それで最初は交通渋滞やサッカーの練習など、あえて日常風景の会話から始めました。それを聞いた観客は、4人が自分たちと同じ普通の人々だと感じてくれる。観客には自分ごととして捉えて欲しかったのです。
今回は日本の取材だから是非お伝えしたいのですが、この映画の冒頭部分は小津安二郎監督の作品にインスパイアされています。カメラワークもほとんどないワイドフレームで日常の風景が切り取られていく。すごくシンプルな内容ですが、だからこそ普通の日々への愛が歌い上げられる。特に最初の15分はその影響が大きいですね。