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『To Leslie トゥ・レスリー』、宝くじに当たった後の人生【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.30】
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とにかく驚いたのは主人公、レスリーを演じたアンドレア・ライズボローの演技です。『To Leslie トゥ・レスリー』(22)はアメリカ、テキサス州の田舎町が舞台の映画です。「To Leslie」だから「レスリーへ」「レスリーに捧ぐ」みたいなタイトルですね。単行本の献辞みたいな感じです。プレス資料によると脚本家のライアン・ビナコは「母親へのラブレター」として本作を書いたということなんですね。だから、固有名詞の「レスリーへ」になってるけど、これは「母へ」というような含みを持ったタイトルです。
つまり、アンドレア・ライズボローは「母」を演じた。これがものすごくクセの強い役です。田舎町ではひと目を引くような美人です。だけど、人生の負け組なんだなぁ。映画はレスリーが高額の宝くじに当選して大はしゃぎしてるシーン(地元テレビ局のニュース映像)から始まります。たった今、当選が決まったところですよ。得意満面、天にも昇る気分です。アナウンサーの質問に答えて、賞金は息子のために使うと言い放つ。
ところがそれは数年前の出来事だったんですね。何と、何とですよ、レスリーは賞金を全部呑んじゃったんです。数年間、酒浸りの毎日です。あんなに沢山あったお金が全部酒に化けちゃった。今はすってんてん。息子の人生を変えられるはずだった高額賞金はありません。レスリーはそんな「母」だったんです。もちろん、近在で知らない者はいない。風の噂になりやすいですね。ブルースの歌詞に出てきそう。「宝くじに当たって、賞金を全部呑んじまった女がいた」。今は立派なアルコール依存症です。人にたかって、借りた金で酒を買う。レスリーだって笑われてるのは知ってるから、態度がものすごく剣呑です。常に悪態をついている。
で、アンドレア・ライズボローの演技って話ですけど、このアルコール依存症っぷり、テキサス訛りの悪態が本当に堂に入っているんです。僕はアメリカ英語のネイティブじゃないから微妙な聞き分けはできないんですが、どう見てもホンモノに見える。で、てっきりテキサス出身の俳優さんなんだろうと思って、彼女のプロフィールを見て仰天しました。81年、英ノーザンバーランド出身、王立演劇学校を卒業し、主にイギリス映画でキャリアを重ねた人でした。いやー、やられた。テキサスの酔っ払いにしか見えなかったけど、あれは芝居だったんです(!)。
『To Leslie トゥ・レスリー』(C)2022 To Leslie Productions, Inc. All rights reserved
この映画は設定がめっちゃ僕好みです。僕は子どもの頃から「ハッピーエンドのつづき」を空想する、ひねくれた習慣がありました。恋する男女が結ばれる、正義の味方が悪漢をやっつける、友情で結びついたチームが大会で優勝する。その「つづき」があると思ったんです。いちばんハッピーなピークでエンドマークが出るからそこまでしか切り取られないけど、恋する男女はその後、ささいなことでケンカして別れるかもしれないし、正義の味方は年老いて悪に負けるようになるかもしれない。「つづき」は残酷です。「つづき」は退屈で、もの悲しい。『To Leslie トゥ・レスリー』の場合は宝くじに当たってハッピーのピークにあった人の「つづき」の人生です。ハッピーのピークでエンドマークが出た後も人生は続く。
この「全部呑んじゃった」ですけど、あり得ないことかというとあり得るんですよね。僕はちょっと違いますけど、タバコの値上げ前に「10万円分、タバコの買いだめをした人」を知っています。タバコってひと箱ずつ買えば「タバコ銭」(はした金の意)っていうくらいで大した金額じゃないわけですが、10万円となると大金です。もちろん家にカートンの山ができた。で、ひと箱ずつ吸っていたら、ある日、全部なくなっていたというんです。さすがに本人もこれにはショックを受けた。10万円が煙になっちゃったんです。いくらでもある、無尽蔵にあると思って気が大きくなっていたんだけど、あれよあれよという間になくなっちゃった。
僕は全集を買うほどの阿佐田哲也(色川武大)の愛読者ですが、阿佐田さんはギャンブルで大勝するなどで、何段飛ばしで人の「ポジション」が急上昇したりするのを不吉と書いておられますね。持ちつけない大金を持つ、急にスターダムにのし上がる、一発逆転で大出世する、そういうのは全部危ないっていうんです。ポジションは少しずつ、階段一段ずつ上がるのが望ましい。ギャンブルでも自分のフォームを守るのがいい。急に移動すると人の何かが狂うことになる。「高額の宝くじに当たる人生」は誰しもの憧れですが、それが吉と出るとは限らないのです。まぁ、僕は年末ジャンボに当たらなかったとき(いつもなんですが)、そう思って自分をなぐさめてますね。
では、レスリーの「宝くじに当たった」後の人生はどうでしょうか? それはここには書けません。どうぞご自分で映画館へ行って確かめていただきたい。映画館の暗がりのなか、テキサスの田舎町の空気を胸いっぱい吸い込んでいただきたい。いやもう本当にアメリカへ旅行に行ったみたいな気分に浸れます。空港でクルマを借りて、ハイウェイを走ると行けども行けどもこんな町ばかりです。マクドナルドとデニーズの看板を1000回くらい通り過ぎる。助手席の人に「ここ、さっき通ったよね?」と確認するが、初めて通る道なんです。町の作り、構成要素がずーっと同じ繰り返し。デジャヴではなく、本当に同じ光景が繰り返される。あの町のひとつでレスリーが暮らしている。あの町のひとつでレスリーが負けの人生を過ごしている。
だから、『To Leslie トゥ・レスリー』はアメリカじゅうに平準化された負け人生の、心の救済のストーリーですね。もっと言えば「負け母」の救いの物語。年間ベストとかそういうんじゃないかもしれません。だけど、心に残る映画です。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『To Leslie トゥ・レスリー』
6月23日(金)全国ロードショー
配給:KADOKAWA
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