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『ミッシング』吉田恵輔監督 フィルモグラフィを通じて言いたいことを埋めていく【Director’s Interview Vol.404】
フィルモグラフィを通じて言いたいことを埋めていく
Q:以前に「マスコミがどうして間違うのかを描きたい」って話もしてましたよね。
吉田:そうそう。『ミッシング』は『空白』とセットで考えられるといいなって思ったんです。『空白』の編集もまだ終わってない時点から、『空白』には雑なところがあるというか、ひとつの物語の一部分しか描いてない、それ以外のことに関しては外側しか描いてない気がしていて、そのひとつがマスコミだったんですよね。『空白』だけを観るとちょっと取ってつけたようなマスコミ像だと自分では思っていて、ただ『空白』はそれを描く話じゃなかったから、『ミッシング』ではこっち(マスコミ)の話もやろうと。
『空白』は、俺の中では結構大きな声を出した作品のつもりなんだけど、歯抜けの文字があるみたいな感覚があったんです。『空白』をやったことで、「いや、ちょっと待てよ」って自分で気づいたことがいっぱい出てきて、俺はもっと大きな声を出したい気がするのに言葉が足りてない。その足りない言葉を、どうしても埋めたかったというのはある。
次はさらにまた別のテーマっていうか、これも『空白』で言いたかったけど、『ミッシング』に入れ込むのはとてもじゃないけど尺的にムリ、脱線しちゃうよねって思って外した部分をやろうと思っていて。今度は学校が出てくるものを撮ろうと思ってます。
フィルモグラフィを通じて、自分が言いたいもの、言い切れなかったものを埋めていく作業をしている感覚はわりとあって、作品はそれぞれひとつの物語としてまとめているつもりですけど、続けて観てもらえれば俺の言いたいことが全部載ってますよってことになってくるっていうか。
『ミッシング』©︎2024「missing」Film Partners
Q:それは監督デビューした頃から意識をしていたんでしょうか?
吉田:だんだんそうなってきたんじゃないですかね。例えば『ばしゃ馬さんとビッグマウス』は夢との決着のつけ方みたいなことを描いていて、『BLUE/ブルー』でも同じようなことやってるけど、あれって結果がわかるものと、結果がわからないもの、いわゆる文系と体育会系の違いなんですよ。
芸術だと「俺はいいと思ったよ」って言えることも、スポーツだと「誰が見ても負けでしょ」ってなるっていうか。同じ負けるにしても負け方の種類が違う。「あ、こっちはまだ描いてなかった」って思う自分がいて、フィルモグラフィでそれを埋める作業をやってるんだよね。あと、同じことができない。飽きちゃうの。だから次、次って考えちゃうんでしょうね。
Q:『ミッシング』はテーマとしても物語としても、落とし所が難しい作品だったんじゃないかと思うんですが、監督はどの段階で「この映画を終わらせられる」と思ったんでしょうか?
吉田:基本的には、彼女(石原さとみ演じる沙織里)がどう光を見るかってことがゴールだと思ってました。その光っていうのは、こんな状況にありながらも、他者のために泣いたりとか、他者のために自分が動けたりとか、そういうことをやれたときに自分に返ってくるんじゃないか。っていうか、 その先に光があるだろう、あってほしいっていう願いが、俺にとってのゴールだなって思ったんです。