二次元の漫画が持つ空気感を実写にするなんてことは出来るのだろうか。しかし瀬田なつき監督が手がけた『違国日記』は、それに見事に成功しているように思われる。何故うまくいったのか。漫画に似せようとして映画を作ったようにも思えないし、原作が持っているものと、瀬田監督がつくるものの方向性がたまたま一致していただけかもしれない。ただ一つ言えるのは、同じ空気を纏った漫画と映画が存在するということ。
瀬田なつき監督はいかにして『違国日記』を作り上げたのか。話を伺った。
『違国日記』あらすじ
両親を交通事故で亡くした15歳の朝(早瀬憩)。葬式の席で、親戚たちの心ない言葉が朝を突き刺す。そんな時、槙生(新垣結衣)がまっすぐ言い放った。「あなたを愛せるかどうかはわからない。でもわたしは決してあなたを踏みにじらない」槙生は、誰も引き取ろうとしない朝を勢いで引き取ることに。こうしてほぼ初対面のふたりの、少しぎこちない同居生活がはじまった。人見知りで片付けが苦手な槙生の職業は少女小説家。人懐っこく素直な性格の朝にとって、槙生は間違いなく初めて見るタイプの大人だった。対照的なふたりの生活は、当然のことながら戸惑いの連続。それでも、少しずつ確かにふたりの距離は近付いていた。だがある日、朝は槙生が隠しごとをしていることを知り、それまでの想いがあふれ出て衝突してしまう――。
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完結前の原作を映画化
Q:原作漫画の「違国日記」は元々お好きだったとのことですが、前から読まれていたのでしょうか。
瀬田:はい。読んでいたときは、まだ完結する前だったのですが、映画の企画のために読んだのではなく、おもしろそうだなと元々読んでいた漫画でした。
Q:それが今回の企画になったのは、どのような流れだったのでしょうか?
瀬田:「漫画の『違国日記』に興味はありませんか?」と、東京テアトルの企画プロデューサーから声を掛けていただきました。それで改めて読み直し「是非やってみたいです」とお返事しました。そこから原作の許諾をあたるという流れでした。
Q:許諾が取れて映画化が決定したときも、原作の方はまだ完結していなかったのでしょうか。
瀬田:そうですね。ただ、映画化が決まった時に、原作者のヤマシタトモコさんと話をする機会があったんです。そこでまず「どのようなかたちで終わるのですか?」と質問すると、「終わりは決めずに描いているので、映画は映画として作って下さい」と。それで「どうしよう…」と脚本を考え始めた感じでした(笑)。
Q:連載漫画の多くは終わりを決めずに描かれていると聞きます。
瀬田:そうなんですよね。この原作も次々と良いエピソードが色々出てくるので「どう終わるのだろう?」と想像がつきませんでした。
『違国日記』全国公開中Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会
Q:原作漫画から脚本に落とし込む作業はいかがでしたか。
瀬田:どのエピソードもすごく良いし、刺さるセリフや好きな言葉もたくさんあったので、そこの取捨選択がいちばん大変でした。映画の中では、槙生と朝を繋ぐ実里(朝の母親であり槙生の姉)という二度と会えない存在を軸にして二人の関係を描くことに決め、その二人に関係してくる人たちとのエピソードをつないでいきました。そのなかで、二人にとっての他者や世界の見え方が少しずつ変化していくという形にしました。
Q:執筆時間はどれくらいかかったのでしょうか。
瀬田:キャストに出演依頼をする際に脚本が必要になるので、そのスケジュールに合わせて書く必要がありました。プロットは何度か打ち合わせしながら2〜3ヶ月くらい時間があったのですが、脚本の初稿は、時間がなくて3週間ぐらいで書き上げ、そこから修正していきました。
Q:漫画の登場人物を実在の人間として描くことに難しさなどはありましたか。
瀬田:言葉を文字で読むのと、言葉が声として聞こえてくるのでは、頭への入り方が違う。言葉の強度のあり方も違ってくるのかなと。漫画の言葉を日常で違和感なく言えるかたちにしつつ、キャラクターとしても存在させるところが難しかったですね。原作では言葉が選び抜かれていたので、そこを生かしつつも、現実世界で喋っても違和感がないところを探りました。モノローグや心の声はほとんど外し、だれかの視点ではなく客観的に物語っていければとも思っていました。