![『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』ペドロ・アルモドバル監督 人間は自分の人生における主であるべき【Director’s Interview Vol.469】](https://cinemore.jp/images/58d78a095abad508b969290f489b95af042ca3b711d1f2786f96f35f634f32a9.jpg)
©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』ペドロ・アルモドバル監督 人間は自分の人生における主であるべき【Director’s Interview Vol.469】
PAGES
- 1
- 2
70歳を超え、初めて英語の長編映画に挑戦したスペインの名匠、ペドロ・アルモドバル監督。シーグリッド・ヌーネスの原作「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」(早川書房 刊行)を自由に脚色した『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、癌に侵され安楽死を望むマーサと、彼女から自分の最期を見届けて欲しいと頼まれる親友イングリッドの物語だ。アルモドバルの短編制作(『ヒューマン・ボイス』)で意気投合したティルダ・スウィントンと、監督とは初対面ながらみごとに彼の意図を汲み、傍観役に徹したジュリアン・ムーアが、動と静の名コンビぶりを見せる。
もっとも、「不治の病」という暗い題材とは裏腹に、本作は死を前にしたことで生を顧みる、生きることの素晴らしさを謳った清々しさがあり、この監督特有のカラフルな色彩設計が高揚感をもたらす。昨年のヴェネチア国際映画祭で堂々金獅子賞に輝いた本作について、アルモドバル監督に訊いた。
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』あらすじ
かつて戦場ジャーナリストだったマーサ(ティルダ・スウィントン)と小説家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、若い頃同じ雑誌社で一緒に働いていた昔からの親友同士。何年も音信不通だったマーサが末期ガンと知ったイングリッドは、会っていない時期を埋めるように病室で語らう日々を過ごしていた。そんな中、治療を拒み自らの意志で安楽死する事を望むマーサは、人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、“その日”が来る時に隣の部屋にいてほしいとイングリッドに頼む。悩んだ末に彼女の最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。そして、マーサは「部屋のドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいないーー」と言葉を残し、短くかけがえのない人生最期の数日間が始まるのだった。
Index
光に満ちた映画にしたかった
Q:本作はあなたにとって初めての英語の長編映画となったわけですが、その前に『ヒューマン・ボイス』(20)と『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』(23)という2つの英語の短編を撮っています。今回はこの2作の経験を経て、英語で撮ろうという気になったのでしょうか。
アルモドバル:いえ、短編を撮っていなくてもどのみち本作を作っていたとは思います。原作に惹かれたのが大きな理由なので。ただ短編は2作とも、とても楽しい経験でした。まるで初めて映画を撮るときのように自由に作ることができて、英語で映画を撮ることに自信が持てました。
もうひとつ、アメリカで撮った大きな理由としては、本作は安楽死を扱っていますが、スペインではスイス同様、安楽死は法的に認められている。だからこのストーリーはスペインでは成り立たないのです。自分の映画はアメリカ社会を分析したり、批判したりするものではないですが、今のアメリカ社会の中では自殺幇助は犯罪なので、イングリッドはとても危険な立場に立たされるのです。
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.
Q:マーサは死を恐れていないと言いますが、イングリッドは死が怖い、考えたくないと言います。あなたは死をどのように捉えていますか。
アルモドバル:わたしはラマンチャ地方で生まれ育ちましたが、この地方では死にまつわる強い伝統的な文化があります。ただし、死について語るのはもっぱら女性でした。近所の女性たちが集まって、亡くなった人について話したりするのは見慣れた風景だった。そういう記憶がわたしの映画にも無意識的に反映されているとは思います。一方、男たちは死について話したりしませんでしたし、自分はイングリッドと同じで死が怖い。人間的に未熟なのかもしれませんが、死というものを頭の中で整理することができないのです。ただ、毎日考えているテーマではあります。私は今75歳ですが、たとえばあとどれぐらい映画を作ることができるだろうとか、自分は死ぬまで映画を撮り続けたいと思っているのであと何本ぐらい作れるだろう、とか。
Q:実際あなたの作品では、死という題材がよく登場します。前作の『ペイン・アンド・グローリー』(19)もそうでしたが、このテーマに惹きつけられる理由は?
アルモドバル:ひとつには、死とは誰にとっても決定的なものだから。だれでも死ぬことは確かでしょう。もちろんその対極にある生も確かなもので、パワフルなフィーリングを与えるものですが、本作では、死はストーリーを活性化する要素として機能している。死と痛みを扱っているけれど、わたしはそれをなるべくフレームの中に入れたくはなかった。それはこの映画を光に満ちた、生き生きとした映画にしたかったからです。前作では痛みがもっとフレームのなかに描かれていたと思います。さらに言えば、わたしはこの映画で、キャラクターを病の犠牲者のようには扱いたくなかった。
PAGES
- 1
- 2