1. CINEMORE(シネモア)
  2. Director‘s Interview
  3. 『アイム・スティル・ヒア』ウォルター・サレス監督 喜びとともに生きることは抵抗の形【Director’s Interview Vol.507】
『アイム・スティル・ヒア』ウォルター・サレス監督 喜びとともに生きることは抵抗の形【Director’s Interview Vol.507】

©Sofia Paciullo

『アイム・スティル・ヒア』ウォルター・サレス監督 喜びとともに生きることは抵抗の形【Director’s Interview Vol.507】

PAGES


記憶のなかの、ふたつの極端な状態



Q:あなたのお父様は政治家で銀行家ですが、ご両親は独裁政権に対してどのように接していたのでしょうか。


サレス:父はジャン・グラール政権(1961−1964)に参加していました。わたしはまだ小さかったので正確な理由はわかりませんが、家族で1964年にブラジルを離れました。その後1969年に帰国し、そのときにマルセロの姉妹のナルさんと出会いました。それがわたしとパイヴァ家との出会いです。それ以来、わたしたちは今も友人同士です。こうしてわたしはこの家族に迎え入れられ、映画に出てくるあの家――明るさ、開かれた窓のある家、鍵のかかっていない扉といったものについて知ることになった。これは今ではとてもユートピア的に思えるかもしれませんが、彼らにとってそうではなかった。それがわたしに、その家が単なる家族以上の存在であることを気づかせてくれました。わたしの家では子供たちが大人の会話に参加することはありませんでしたが、彼らの家は異なり、そこでわたしは初めて政治について耳にしました。他にもブラジル音楽やさまざまなことについて、パイヴァ家で多くのことを知ることができたのです。


本作を作ろうと思ったとき、自分の記憶とマルセロの記憶が混ざり合い、それが映画の始まりになると感じました。もちろん、これは責任重大なことで難しいのはわかっていました。マルセロには、脚本を見せてつねに意見を訊いていました。彼はその都度、事実に沿った適切なアドバイスをしてくれました。



『アイム・スティル・ヒア』©2024 VIDEOFILMES / RT FEATURES / GLOBOPLAY / CONSPIRAÇÃO / MACT PRODUCTIONS / ARTE FRANCE CINÉMA


Q:本作で、パイヴァ家の子供たちがT-Rexなどのロックを聴いたり、ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』(66)を観たりしているのが印象的でしたが、あなたにとってもそれらのカルチャーは若いときにおいて最大のインスピレーションとなったのでしょうか。


サレス:はい、当時わたしは13歳〜14歳だったので、本作は若さや喜びについての映画とも言えます。踊ったり遊んだりすること、そして自由についての映画。そして、その後、それらすべてのものが奪われていったこと、つまり国が未来の可能性を奪ったことについての映画なのです。あの時代、音楽や映画は非常に重要な役割を果たしていた。聴くもの、観るものによって自分が何者であるかが定義されたからです。


Q:あなたがブラジルに戻ってきたときの雰囲気はどのようなものでしたか。子供たちにとっては、国が変わりつつあることにすぐには気づかない状態だったのでしょうか。


サレス:まさに映画で描いた通りで、 これまでのような生活は続いていましたが軍の存在はどこにでも少しずつ見られました。わたしの記憶にあるのはふたつの極端な状態の共存です。思春期にわたしたちは限界などないのだということを発見して、世界は自分が思っていたよりもはるかに広いことに気づくものです。でも同時に、抑圧的な体制も存在していた。とても奇妙な状態でした。





PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. Director‘s Interview
  3. 『アイム・スティル・ヒア』ウォルター・サレス監督 喜びとともに生きることは抵抗の形【Director’s Interview Vol.507】