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『さよならはスローボールで』カーソン・ランド監督 人生は変化し続けるからこそ“さよなら”がある【Director’s Interview Vol.521】
変化し続けるからこそ“さよなら”がある
Q:選手の中には野球場を取り壊す関係者もいますが、そこのエピソードはあえて深掘りされません。
ランド:関係者である選手は責任を感じていますが、家庭を支えるための仕事がたまたま野球場の取り壊しになっただけで、悪いのは決して彼ではない。そこは明確に描きました。ジェントリフィケーションについての映画にはしたくなかったので、野球場を取り壊す理由を学校建設のためという設定にしています。
野球場の取り壊しを通じて描きたかったことは、時間の経過。私たちが生きる上で直面するのは、時間が過ぎ物事が変わっていくこと。年齢を重ねていくと、どこかで“さよなら”をしなければいけないときはやってくる。私たちは生涯“さよなら”を言い続けていくわけで、その一つ一つに明確な理由があるわけではない。人生とは変化し続けるものゆえ、“さよなら”があるのだと。
『さよならはスローボールで』Ⓒ 2024 Eephus Film LLC. All Rights Reserved.
Q:スコアをつけていた常連のおじいさん(フラニー)が、途中から審判に変わります。審判を実況席から行うという俯瞰の目線が印象的でした。
ランド:フラニーは実在の人物がインスピレーションになっています。僕の地元でよく見かけた人で、いつも街をウロウロしていて野球の試合にはなぜか毎回来ている。そんなミステリアスな人でした。そういった感覚的な記憶が元になっていることもあり、フラニーにはこの映画のスピリットを担ってほしかった。もしかしたら、この試合を一番楽しんでいるのは彼かもしれません。選手たちは文句を言いながら試合をしていますが、フラニーは野球そのものに意味を見出している。そしてそれを記録することにより、「自分はその野球場にいたのだ」という人生の瞬間を刻んでいるのです。
一方で、フラニーは満ち足りた時間を送っているように見えつつも、実は彼はとても孤独で、彼とコミュニティをつないでいるものは野球だけかもしれない。この映画は、フラニーが森から現れることで始まり、彼が森に帰っていくことで終わります。もしかしたら、全ての出来事は彼の脳裏で起きていたことかもしれない。そう考えると、フラニーは民間伝承のような存在にも思えてきます。彼は野球への愛を体現しているキャラクターで、野球という儀式に価値を見いだし、コミュニティにも価値を見出す人物なのです。
フラニーは流れで審判をやることになり、観察者だった人間が神のような存在として結果を決めることになりますが、それはつまり、野球を見ながら永遠に過ごしたかった彼が、試合をジャッジして野球を終わらせる立場になることを意味します。そこがまた、切ないジレンマとして興味深いものになっています。